「新政酒造」の組織改革 会社に依存しない「自立社員」の育成を通じた酒造りとは

「新政酒造」の組織改革 会社に依存しない「自立社員」の育成を通じた酒造りとは

Words 千葉尚志

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撮影=高橋希
企画・編集=ノオト

秋田市に本社を置く「新政酒造」。1852年創業の歴史がある酒造ですが、2000年代初頭には深刻な赤字経営でした。

その危機的状況を救ったのが、それまでジャーナリストとして働いていた同社の長男・佐藤祐輔さん。2007年に帰郷し、入社。人事の配置転換や従来の酒造りの見直しを行い、2012年、黒字化を達成し、8代目として家業を継ぎました。

しかし、伝統的な会社で変革を起こすためには、ともに働く社員との意識の違いも浮き彫りになります。佐藤さんはどのようにその壁を乗り越えたのか。当時の状況を振り返ってもらいました。

普通酒の大量生産から、素材にこだわった純米酒造りへ

――佐藤さんが帰郷したときには、アルコールを添加した、いわゆる普通酒を大量生産する状態だったんですよね。

そうですね。現在でも日本の全出荷量の7割以上が、普通酒といわれる醸造用アルコールが多く含まれた酒です。米が足りない戦中戦後の名残で、少ない米で、かつ安定して大量生産できる造り方が一般的になり、現代まで引き継がれてしまいました。

私が帰郷した2007年、当社も世間と同様に、普通酒を主体に製造していましたが、価格競争に巻き込まれて経営上は赤字。「債務超過に陥って銀行管理になることだけは避けたい」という、危ない状態だったんです。そこから、当社を立て直すため、蔵の方針を転換しました。

具体的には、2009年からは使用酵母を「六号酵母」系のみに、2010年からは原料米を秋田県産米のみに、2012年にはすべての商品を「純米造り」にする体制に移行しました。2013年からは既製品の酸味料、市販乳酸を添加して作られる「速醸酒母」をやめ、現在では「生酛(きもと)造り」と呼ばれる、江戸時代に確立した自然を活かした造り方にこだわって、日本酒を製造しています。

――そこまで大きな改革となると、社内で反対の声もあったんじゃないですか?

大きな抵抗はありませんでしたよ。経営面で危機的な状況の中で代表に就任していて、さらに蔵元の跡取りということもあるので。「やりたい」と思ったことはゴリ押しできる環境に、ある意味では、恵まれていたのだと思います。あとは、私自身、酒蔵に泊まり込んで酒造りを行うなど、必死の思いで仕事をしていました。そうしたこともあり、少しずつ理解してもらえたのではないでしょうか。

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社員には「いずれ会社を出て行きなさい」とプレッシャーを

――組織変革の面では、立て直すためにどのようなことを行ったのでしょうか。

現在、パートを含めて約35人が働いていますが、私の入社前から働いていた人もいれば、その後入社した人もいて、この10年で社員数はあまり変わっていません。しかし、当時は社員の半分は、雇用が安定しない臨時に雇う期間従業員(季節工)でした。人材が入れ替わる際、若い人が安定して働けるよう、年間雇用に切り替えましたね。それによって、仕事に対するモチベーションも変わるでしょうから。

また、配置は大きく変えました。社長就任当初は営業担当者が多かったのですが、ほとんど売上を上げていなかったため、思い切ってゼロにしました。また、経理も3人いましたが、この規模の会社としては多いため、醸造や瓶詰めなどの作業に人員を回す配置転換を行いました。また、酒造りを第一に考えて、販売方式を大きく変えることに時間をかけました。販路を確定し、営業担当者が外に出て売り歩くようなことはやめましたが、経営に悪い影響はなかったと思います。

――元ジャーナリストというと、組織とは真逆の印象です。そうしたなか、酒造会社が組織として機能するために大切にしていることはありますか。

おっしゃる通り、私自身は組織的な仕事が苦手なほうです(苦笑)。そのため、最初は人事に関しては失敗もありました。

――たとえば、どんな失敗が……?

会社の赤字が大きかったとき、私と同じタイプの社員ばかりを入れたことがあります。ところが、自我が強すぎて人の話に耳を貸さないため、チームとしては全く機能せず、迷走してしまったのです。結果、滅茶苦茶な酒ができてしまったり、酒が腐ってしまったりたりと、大変な結果を招いてしまいました。

それからは、誰か1人の力で酒造りをやっているのではない以上、バランス感覚のある人材が重要であると考えるようになりました。多様性を保ちながら和を生むことを大切にしています。

02

――具体的に思い描いている理想の社員像はありますか?

一見、面白みに欠けるように感じられる人でも、私と逆のタイプであれば、会社としてはバランスが取れます。たとえるなら、私が重宝する人材は、「機動戦士ガンダム」に登場するホワイトベースのブライト・ノア艦長のような人材。この人がいないとホワイトベースは一瞬で撃墜されるはず。アムロ・レイではガンダムを操縦できてもホワイトベースは管理できないでしょう。直感的なタイプの経営者に率いられる組織では、バランス上、地味でも精神的に安定した人格者こそが重宝されるのかもしれません。私が求めている人材は、どこの組織でも重宝される人ではないでしょうか。

――会社の運営で最も大切にしている考え方はありますか?

私も組織で働きたくないとの思いを持っていたのですが、社員にとって、会社は中心なのではなく、「自分の人生ありき」の存在であると思っています。「ライフワークバランス」はよく言われますが、誰しもより良い人生を送るために働いています。そして、自分の多くの時間を仕事に充てていますから、これを充実した時間にしていこうと考えることで、生産性の高い仕事ができるようになっていくはずではないでしょうか。

働き方についても、社内だけの閉鎖的な環境に留まらず、他業者との交流も大事にするように奨励しています。また当社は農業や木桶製造などの関連業務も手がけ始めておりますが、そうした任務に就く社員たちは、よくメディアに取り上げられるので、地元や業界内では有名人です。彼らの名声が、会社の外にも響くようになることはとても喜ばしいことです。

社員には「いずれ会社を出て行きなさい」とプレッシャーを掛けていて、実際に同業者に移籍する者もいます。「生活が安定しないと不安でたまらない」という人もいるかと思いますが、自分の人生を自分でコントロールできるようになってもらいたいのです。会社に依存しない自立性を仕事の中で達成して、どこで働いても恥ずかしくない人材になってもらいたいと考えています。それが「新政」の誇りです。

そう考えると、会社は「個」で活躍できる人材の集まりであることが理想です。徐々にですが、社内はそのようになってきています。そして、そうした意識が最終的にいいプロダクトを生み出すことにもつながっていると感じています。

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「こうあるべき」という酒造りのあり方と戦うのは、ジャーナリズムと同じ

――保守的ともいえる業界で、そのように製品改革、組織改革を実現できた理由を教えてください。

前職で培ったジャーナリストとしての考えが、自分に根付いていたのが大きいと思います。ジャーナリズムの世界で大切だったのは、いかに権力と戦うか。私は酒造りでも同じように「こうあるべき」という考え方、戦後に変えられてしまった酒造りのあり方などと戦っているのです。自由を取り戻すために酒造りをしているような感覚ですね。

――「日本酒」を広い視点から捉えているのですね。

私は日本酒造りを自分の中の創造的なものの発露として取り組んでいます。その根底には、「日本酒を飲んだお客さんに感動や共感、何らかの変化を促したい」という強い思いがあるから。そのためには、お客さんが「こうだったらいいな」と思うところよりも、もっと上のところから酒造りを進めなければいけません。

お客さんが求めているものを探しているようでは、目指すところには永遠に到達しないはずです。それはお客さんが既に知っていることですから。コミュニケーションや表現方法などの伝え方は変えることはあっても、私が持つべき根源的で絶対的な価値を、相手のニーズに従ってころころ変えることがあってはならない、そういう考え方を持っていたことが、改革を実現できた理由だと思います。

――今後「新政酒造」をどのような組織にしていきたいか、ビジョンを教えてください。

秋田は無農薬栽培の分野で遅れている地域です。また、国内では、酒蔵などで使う木桶を作る唯一のメーカーが、数年内に製造を止めてしまいます。誰も無農薬栽培は難しいと手を出したがらないし、江戸時代から続く伝統的な製法の木桶が世界からなくなるかもしれないというのに危機感が少ない状況です。視野を広げ、大きな地図を描いた中のどこに自分がいるのかを考えると、やらなければならないことが見えてくるはずです。これは、私がジャーナリストだったから持てた視点かもしれませんが、長期的な視点で社会的な正義に沿うことなら、道理のわかるお客さんには理解してもらえるはずだから、いずれ産業になるはず。こういうことを起業家になりたいような方々が取り組めばいいと思いますが、なかなかやる人が少ないようなので、私がやっているのが現状ですね(笑)。

今は自社田で、無農薬で米の栽培に取り組んでいます。今年は失敗しましたが、来年は必ず成功させます。また、今後は四方を山に閉ざされた山間農村に、新しい小さな酒蔵を立ち上げたいと考えています。小さな盆地だと、栽培面積には限度があり、増産はできません。そのため、毎年の収量と連同して値段が決まります。気候が価格を決定するわけです。当たり前のことですが、こうした取り組みから、「酒が自然の恵みである」と実感できるのです。木桶も、現在、社員が製造の勉強に出ているところです。

日本人が誇りを持てるような、尊敬される日本酒を造っていくことが私の使命だと思っています。しかし、私たちが日本酒に力を注ぎこんでいるのであって、日本酒に食べさせてもらおうなどという気持ちは持っていません。自立している自負があるからです。「日本酒を助ける」「日本酒に貢献する」というのが、私たちのプライドです。

<取材協力>
佐藤祐輔さん
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1974年生まれ、秋田県秋田市出身。明治大学商学部から東京大学文学部で心理学を学ぶ。卒業後、編集プロダクションなどを経て、フリーライターに。2007年に帰郷し、新政酒造に入社。現在、代表取締役。
新政酒造 http://www.aramasa.jp

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