
2013年公開の『そして父になる』でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、その後も『海街diary』、『海よりもまだ深く』、『三度目の殺人』と話題作を発表し続けている映画監督の是枝裕和さん。その出自は、実は「テレビ」だ。
大学卒業後、番組制作会社「テレビマンユニオン」に参加した是枝監督は、クイズ番組などのADを経て、ドキュメンタリー番組のディレクターに。社会問題など興味のある題材から企画を考え、テレビ局にプレゼン、取材を重ね、自ら編集する。企画立案から放送まで一貫して手がけるテレビディレクターの仕事は、オリジナル企画を立ち上げて、監督・脚本・編集を行う“是枝映画”の原点でもある。
2014年に独立し、制作者集団「分福(ぶんぶく)」を起業した是枝監督に、クリエイティビティを醸成するための組織づくりについて聞いた。
いい作品づくりのためにたどり着いた “会社未満”の会社のカタチ
――映画監督の西川美和さん、砂田麻美さんを誘ってスタートした分福ですが、今年で何年目ですか?
分福と命名して集まり始めてからは6年目、株式会社にしてからは約3年半が経ちました。コアメンバーは僕と西川と砂田、監督助手として採用した子たちが8人、ほかプロデューサー、マネージャーを入れて15人ほど。映画の企画が動き始めると、フリーの助監督やプロデューサーなども集まりますから、日々30人近い人間が出入りをします。
分福は「制作者集団」としてオリジナルの映画の企画制作に特化しており、制作請負はしていません。たとえば、製作費を受け取って、15%くらいの管理費(トップオフ)を計上し、残りの85%で制作するほうが会社は安定しますが、あえてそうはしていない。いまは給与を支払っているのは一人だけで、あとは作品ごとにギャランティを支払うという契約にしています。
――あえてそうしていない理由は何ですか?
いわゆる“会社”、つまり給与制になると、「いい作品をつくりたい」という気持ちより、組織を維持しなければという方向に意識が向かうから。スタッフには会社を見るのではなく、作品を見てほしいし、関与してほしいんです。
たとえば、テレビのディレクターは基本的に自分で企画書を書き、放送局へのプレゼン、リサーチ、取材、編集、ナレーション原稿の執筆まで行い、局とバトルもしつつ、自分の描きたいものを番組内に残して放送するまでが仕事です。そこまでやって一人前。
僕が長年所属したテレビマンユニオンも、もともとはフリーランスのディレクターの集団として(1970年に)スタートした番組制作会社でした。でも会社が大きくなるにつれ、組織を維持するために効率が優先され、部署が分かれていった。企画室ができ、ディレクターは企画書をそこに提出し、局へのプレゼンは企画室長とプロデューサーが行くようになった。90年代の終わりごろからそのような細分化が進んだ結果、残念ながらディレクターの力量が落ちていったわけです。それを間近で実感し、危機感を覚えたから独立したというのもあります。
テレビマンユニオンの創設者の一人である村木良彦は「創造は組織する」と、その著書に記していました。組織が創造するのではなく、創造が中心にあって、そこに人が集まり、それが組織になるのだと。テレビマニオン時代に「理想主義だ」といわれたこともありますが、分福では「創造は組織する」を徹底したいと思っています。
――法人化して3年半経ち、目標の組織がつくられているという実感はありますか?
6年前に初めて採用した子が、来年劇場用の映画で監督デビューします。あとは2期目に採用の子も、先日香港で評判を呼んだオムニバス映画「十年」の日本版で5人のうちの一人として短篇を発表します。このあとも何人か続けば、なかなか面白い企画集団だと思ってもらえるのではないでしょうか。
若手を育成するための組織でもあるために
―― 一般的な映画では監督に就くサブポジションは助監督といわれますが、是枝組では助監督以外に監督助手というポジションがあります。これはどのように生まれたのですか。
映画は一般的にフリーランスの助監督がクランクインの3カ月前にやってきて、クランクアップと同時にいなくなります。そういう作品への関わり方を続けていて助監督が監督になれるまでには、相当時間がかかる。それは、撮影所システム(撮影所が演出部や技術部を社員として雇い、後進に技術を教えるという雇用形態)が崩壊して、撮影所が演出部を採らなくなり、みんながフリーランスのスタッフになってしまったことの“負の側面”だと思うのです。
一方、テレビはまだアシスタント・ディレクター(AD)と一緒にプレゼンから放送までずっと一緒に過ごすので、そのADがきちんと育てば、ディレクターになれる。それで僕は2作目の『ワンダフルライフ』の準備段階から西川をフリーランスのスタッフとして契約し、映画を撮り終えたあとも常駐させ、次の作品まではCMを手伝ってもらいました。それが監督助手の始まりです。

分福公式サイトのスクリーンショット
――「プロジェクトごとに集まって解散」という負の側面の解決策として分福があろうとしているわけですね。監督を目指すフリーランスの拠り所でもあり、何かを学ぶ機能も持ち合わせている。
そうです。コアメンバーがいて、あとは作品ごとに外部のプロフェッショナルが出入りをする。分福は集う場所であり、かつ風通しのよい場所でありたいという気持ちがあります。
ただ、大手の制作会社がいま直面しているいちばん大きな問題は、派遣ですよね。風通しが逆に良すぎているというか、社員が減って、派遣社員が増えて、現場にノウハウが蓄積しないことだと思う。
これは一般企業にも通じる話だと思いますが、会社にはそれぞれのカラーや長年培ってきた社風というのがあって、だからこそ信頼もあるし、方法論や倫理観が継承され、醸成されていく良さがあった。でも派遣化が進むと、会社は半年でいなくなる人に何も教えなくなるし、派遣される側も自分が関わっているものに対する責任を感じなくなる。それであちこちでトラブルが起き、しかもノウハウが蓄積しないという悪循環に陥っている。「風通しのよい組織づくり」と一口にいっても、そのメリット、デメリットは考えたほうがいいかもしれません。
オリジナル作品をつくり続けるための、一つの工夫
――固定化したメンツと組んでいると、「あ・うん」の呼吸で仕事が進む一方、アイデアが枯渇しやすいというのもあると思います。新しいスタッフはどのように探していますか?
映画やドラマ、CMなど作品を見るときに、やはりスタッフワークも見て、いいなと思ったら声をかけています。
現在撮影中の新作では、近藤龍人さんという僕より一周り下、43歳のカメラマンに撮影をお願いしました。呉美保監督の『そこのみにて光輝く』、沖田修一監督の『横道世之介』、熊切和嘉監督の『私の男』などを撮影していて、とてもチャレンジャーなカメラマンだなと思って。
実際に撮影を進めてみると、カメラって年齢が出るなと。もちろん演出もそうなんですが。技術なのか、人生の経験値なのかはわからないけれど、若いから撮れる画というのがあると感じます。やはり、新しい血が入ると違うものが見えますね。
――是枝組はよく「怒鳴り声のしない現場」といわれますが、何に気をつけていらっしゃいますか。
映画の現場というのは民主的では成り立たない瞬間というのがあって、そこが難しいところだと思いますが、とはいえ基本的にトップダウンでいろんなことが決まっていくよりは、ボトムアップで決まっていったほうが、個人的にはいいなと思うんです。
たとえば、僕が「右を向け」といって全員が右を向くのではなく、下から「これは右なんじゃないか」「いや、左じゃないか」という声が挙がり、そのことを話し合える場でありたい。
もちろん最終的には僕が決めますが、僕が「右じゃないか?」といっても「左ではないでしょうか?」と意見をできる環境をつくることが、集団でものをつくっていく意味だと思います。僕のいうことを聞いてくれるだけの人が集まるのであれば、たぶん僕が30人いれば済むけど、それは面白くないし。……というか、僕のような人間が30人いたら、間違いなく現場が混乱して、映画はできないしね(笑)。
――いい作品をつくることだけに向き合うために、分福ならではの工夫はありますか?
企画開発の段階で費用を映画会社からきちんと支払ってもらっていることです。通常、日本の映画業界は企画にお金を出さない。制作が決まり、予算が決まり、制作会社が決まれば、予算からトップオフのかたちで企画開発料が支払われる場合はありますが、企画が成立しなければつくり手の持ち出しになってしまう。企画開発に一番時間がかかるにもかかわらず、です。そのことがいかにつくり手たちの「企画を立てよう」という意欲を削ぐものになっているか。
この慣習の長い映画業界を説得するのはなかなか骨が折れましたが、僕の作品では『海街diary』、『海よりもまだ深く』、『三度目の殺人』の3本が、西川の作品では『永い言い訳』で企画開発費が出ました。
やはりつくる側が企画開発をしないと、つまり請負だけになると、映画の面白さは失われていく。だから企画開発にはこれからもこだわっていきたい。企画開発費をもらえれば、それだけでコアメンバーのスタッフのギャランティをおおかたまかなえますし、オリジナル企画で勝負することを下の世代にもチャレンジさせられます。
また今後、分福の作品が大ヒットを連発すれば、次の企画のファーストルック権にお金を出す人も増えるかもしれない。そうなったら素晴らしいなと思います。
(取材・文:堀 香織 編集:南澤悠佳/ノオト)
<取材協力>
是枝裕和さん
1962年、東京都出身。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。テレビドキュメンタリーのディレクターを経て、95年、映画『幻の光』で監督デビュー。2013年の『そして父になる』でカンヌ国際映画祭審査員賞受賞。14年に独立し、制作者集団「分福」を立ち上げる。現在、『三度目の殺人』が公開中。
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