歴史学からみた組織論(前編) ー智者の条件ー

執筆者: 三石晃生

歴史学からみた組織論(前編) ー智者の条件ー

執筆者: 三石晃生

テクノロジーが進化し、シンギュラリティーが近いとされる現代だが、組織は常に智者を求めている。
即座に意を解し、問題を解決できる逸材。その理想形が「軍師」である。

自己の組織に、張良のような、諸葛孔明のような、あるいは竹中半兵衛や黒田官兵衛のような智者がいてくれたら、と思ったことも少なくないだろう。

そうした意識を受けてか、2014年のNHK大河ドラマは『軍師・黒田官兵衛』であった。
いまや現代のビジネスパーソンの歴史洞察は常識になりつつある。

そこで歴史学者、株式会社goscobe代表取締役の三石晃生氏の視点を借りて、歴史から現代的問題に切り込んでみたい。

軍師は虚像。現場をしらない人間に戦略はつくれない

軍師というと、智謀と知略に長けた人物だと一般に考えられています。
しかし、「軍師は実在しなかった」という新事実を聞いたらばみなさんは驚くでしょうか?

中国の歴史を詳しい方は、漢の高祖劉邦に仕えた張子房、あるいは『三国志』好きなら劉備に仕えた諸葛孔明、曹操麾下の司馬仲達などを連想するかもしれません。

しかしこれらは皆、文官です。

日本の軍師の代表格であり、大河ドラマになった黒田官兵衛ですが、彼は秀吉の部将です。
つまり武人なのです。これは矢が飛び、刀が切り結ばれる前線で指揮をとる者ということです。

九州の大友家を支えた智将として名高い戸次道雪(立花道雪)にしても、彼は馬に乗れなくなっても輿に乗ってまで最前線に繰り出して戦っています。

現場に行って指揮をしていない、机上で戦略だけを担当する人間は当時にはいません。
そういう意味でも、日本に軍師はいないのです。

そもそも現場を知らない人間、現場感のない人間が、その現場で起こっている問題に対しての解決策を出せるのか、という話です。これは現代の組織でも全く同じことがいえるでしょう。

現場をろくに知らずに、少しアドバイスしただけでうまいこと運ぶ。そんな美味しい話は今も昔もありません。

人脈を持つ人間の真価とは

軍師として一般に知られている竹中重治(半兵衛)、黒田孝高(官兵衛)。
軍師は実在しないといえども、二人には共通する重要な資質がありそうです。

まず秀吉の軍師として知られる竹中重治(半兵衛)ですが、近来の研究では竹中重治は秀吉の配下ではない可能性が高いとされています。織田家の所属のまま、与力として秀吉につけられた部将です。つまり信長のところから、秀吉に出向しているだけです。

その竹中重治の最大の強みは何かというと、人脈です。

竹中家の本拠の城は岐阜と近江の境にあったので、もともと地縁的に浅井家やその家臣団、北近江の地侍との間に人脈を持っていました。

人脈というのは様々な効用を持っています。
他人と自分をつないでくれること、自分の味方をしてくれること、そして自分を引き上げてくれることです。
現に竹中重治は主家の斎藤家が滅んだあと、浅井家の客分に迎えられています。

しかし人脈力によってもたらされる最重要なものは、その人脈を通じて得られる、まだ誰にも知られていない最新情報です。しかも信用性が高い。

そうした諸々の効用が集約されたのが「人脈」です。
人とただ単に出会うことではなく、その間に信頼関係が構築されてはじめて発揮されるのが人脈であることは言を俟たないでしょう。

織田信長は対浅井戦略を展開するにあたって、近江の地侍を味方に引き入れるべく、竹中重治を引き入れようと画策しました。無論、信長が欲しがったのは彼の持っている人脈です。
織田家に引き抜かれた竹中重治でしたが、単なる「人脈仲介者」では終わりませんでした。

竹中重治は晩年、秀吉の中国地方の遠征に伴って従軍しています。
そこで備前八幡山城の城主を調略によって引き入れ、戦わずに城を陥落。
信長から直接に銀100両の下賜と賞賛の言葉を受けています。

黒田孝高(官兵衛)も祖父の代から播磨国(兵庫県西部)におり、現地に強いコネクションを持っていました。
西に広がっていく織田家にとって、播磨の彼のコネクションは非常に重要なものでした。
竹中重治といい、戦国時だからこそ戦いをせずに勝利をおさめられる能力を持つ者が最上の人材です。

『孫子』にある「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」と、いう言葉は、それを端的に表しています。

平和的勝利ができるか否かは、その人脈の有無に大きく依存しています。
イエズス会宣教師のルイス・フロイスがインド管区長に送った報告書の中で、「関白殿の家臣中、高貴な貴族で三十年前キリシタンとなった小寺官兵衛という人は、思慮深く、稀な才能を有する故、関白殿は彼を遣はして、山口の王と交渉を開いた」と、いう記述がみえます。

キリシタンになった小寺官兵衛とは、黒田孝高のことです。
この「思慮深く、稀な才能」というのは交渉力をさすものと解されます。毛利との交渉を担当した黒田孝高は、後の小田原城攻めでは無血開城を求めて降伏交渉にあたることになります。

こうしてみると、交渉事とは詐術や詭弁によるものではなく、誠実さによるものであることがわかります。
もしその場しのぎの嘘をついて、相手を騙すようなことがあったと仮定します。

するとこの人のみならず、そんな人物を交渉役に立てた組織自体の信用が失墜します。
無論、培った人脈は霧散します。交渉相手がいなくなる。
そうなるとその組織にはどのような未来が待ち受けているのか。

クラウゼヴィッツの『戦争論』には「戦争は政治的行為であるばかりでなく、政治の道具であり、彼我両国の政治的交渉の継続であり、政治における手段とは異なる手段を用いてこの政治的交渉を遂行する行為である」と、述べている箇所があります。

政治的「対話」という手段を失うと、戦争という交渉行動にしか出られなくなる。
結果、さらなる孤立を生むのです。このことは、昨今の国際関係でもよくご存知のことだと思います。

面従腹背の策謀の士と思われがちな黒田孝高ですが、彼はむしろ誠実の人であったと評価し得るでしょう。
「この人が言うのだから間違いない。自分たちを悪いようにしはしないはずだ」と、いう信頼関係が人脈と交渉の基礎になるものです。

『論語』では、孔子が子貢という弟子から指導者の条件について問われたとき、一番に孔子があげたものが「四方に使いして君命を辱めず」、つまり、あらゆるところの交渉に赴き、その負託に応えられる人物でなければいけない、いうことでした。弁舌が優れているべきだ、という意味ではなく、信頼される人間であるべきだ、と解するべきでしょう。

誠実さは才能や資質の一つです。実のところ、そう誰もが持っているわけではありません。
こうした人間を見出して、育て、適所に配して、活動させる。これが組織の危機管理にもつながります。

「身におぼえがありません」と全員が不誠実な責任転嫁をする組織であってはいけないのです。
もし「信用できる人間がいない」と思うのであれば、その組織は末期的な状況に陥っているといえるでしょう。

組織のトップがイニシアチブをにぎれているか

「軍師」の誤解に関してもう少し話を続けましょう。
軍師というと主君に対して外交や戦略の進言をして、主君の重要な意思決定を左右するというイメージがありますが、それは物語の中での話です。

戦国大名の組織構造は、きわめて不安定なものでした。
ヒエラルキー構造というよりも、むしろ実態はTeal型組織に近いといえます。
大名家がある戦略や目標を立てたときに、「私はイヤだ」と不服を訴えて別の陣営に鞍替えしてしまう城主も少なくありませんでした。

そうした自律分散型組織であるため、家臣団の関係調整や領地内外の問題解決に失敗した主君が追放されたり殺されたりするケースも珍しくはありません。

織田信長の「本能寺の変」もその一例です。
本能寺の変は日本史最大のミステリーといわれますが、それは誇張しすぎです。
信長は、家臣団の調整と理念共有に失敗したために家臣に殺されたのです。
単純に信長は、組織運営に失敗しただけなのです。

そんな組織基盤が不安定な中で、側近的なナンバー2が進言しただけで通るようなことはありません。
もし「軍師」的な存在が組織全体を左右しえるのであれば、その組織はGreen型でもなく、Teal型でもなく、ヒエラルキー型の構造を持っているということになります。

なので「軍師」を必要としている段階の組織は、まずトップがしっかりイニシアチブをとれているかを確認した方がよいでしょう。その組織は安定的か。組織の人間関係をしっかりと把握し、調整できているが重要です。

下手をすると、そのナンバー2に追い出されることも十分ありえます。伊勢宗瑞(北条早雲)や斎藤道三がそのいい例です。

石田三成に学ぶ、組織スタッフの資質

トップの描いたイメージや理想を現実のものに変換できる能力がスタッフには求められます。
それは現在も過去も変わりません。こうした能力に関して、石田三成を模範として学べることは多いと感じています。

「美濃大返し」での三成の働きに注目したいと思います。

信長亡き後、織田家の趨勢を決定する秀吉と柴田勝家の戦い「賤ヶ岳の戦い」が起こります。
秀吉と柴田勝家が双方こう着状態にありました。その絶妙なタイミングで、信長の子である織田信孝が秀吉勢の背後にあたる岐阜城で反秀吉を掲げて挙兵します。これによって、秀吉は挟撃される立場になったわけです。

秀吉は対勝家の本陣である木之本の砦を弟の秀長に任せ、自らは美濃と近江を結ぶ重要拠点・大垣城に入城します。当然、総大将不在のこの機に乗じない手はありません。勝家麾下の将・佐久間盛政が、次々と拠点を陥落させていきます。このまま進撃が続けば、秀吉の本拠である長浜城が陥落し、近江を失ってしまう絶体絶命の状態です。

その状態の中で秀吉は大垣から木之本まで引き返すのですが、その距離は約55km。
大軍の移動ですから準備も含めて相当な時間を要します。
佐久間盛政も簡単に戻って来られるとは思っていないからこそ、こうした猛攻に出ています。

ところが秀吉は1万5000の軍勢を連れて、たったの5時間で大垣から戻り、完全に裏をかかれた佐久間軍は敗れます。精鋭である佐久間軍の敗北によって柴田勢は浮き足立って全軍崩壊に陥り、秀吉が勝利を収めることになります。この高速移動こそが「美濃大返し」なのですが、これを実現できたのには理由があります。

まず移動速度によって相手の裏をかくという秀吉の天才的なアイデアがあります。
しかし、アイデアだけでは意味をなしません。
三成はそのアイディアの実現に向けて、綿密なプランを策定します。

大垣から木之本に戻るまでの順路と道の検討。さらに連絡要員を予め配置し、情報伝達のスピードと精度を上げます。替えの馬、馬の餌も用意し、更に、その道沿の民家には「秀吉軍が帰還するときには食料の提供をしてほしい」と予めの買収工作をし、さらに夜間に移動する場合も想定して松明もかき集めていました。

上記には一次史料にはない記述も含まれていますが、この緻密なプランと素早い組織的対応が、秀吉の「実現不可能なアイデア」を実現のものにしたのです。

三成が行ったこの思考は、未来を起点として、そこから現在を考え、その未来と現在とのギャップを埋めていくという「バックキャスティング思考」の実践に他なりません。

組織が必要とする人材は、段階と状況によって変わる

名将・智将と評価されている将は、組織トップの不得手やトップの有していない能力を駆使して、組織全体を補完する役割を担った人物です。

そのトップの「不得手なこと」や「得意なこと」はトップが変われば、当然変わるわけです。
前のトップが連れて来た幹部や、先代が重んじていたNo.2が、新しい組織トップと適合するかといえば、そうとは限りません。

愚かな2代目の例としてよく挙がるのが、初代が優秀な人材を残してくれたけれども、その人材を軽んじて2代目が国(会社)を傾けてしまった、というストーリーです。ただそれは、2代目が聞く耳を持たなかったからではなく、遺臣との資質的な相性が悪いという側面も無視できません。

先代と2代目は持っている資質が違うことが殆どです。
ですから先代を補ってきた旧臣の考えや能力が、後継者を補わないどころか、マッチしないことの方が多いのです。この原因はその能力が補完し合わず、それどころか両者が似たよう能力同士で競争関係になってしまうことにあります。

こうした能力の似通りによる不適合関係は、いままで組織の人材をみる上でもあまり語られることがなかったように思います。不適合に対する理解で、組織内に起こるいくつかの問題を説明することができます。

組織内部でよく起こる不満に「昔あれだけ貢献したのに、なぜこんなにも冷遇されるのか」「あいつは後から来たくせに依怙贔屓されている」というものがあります。

たとえば関ヶ原の戦いは、その最たるものです。関ヶ原の戦いは、石田三成と反三成派をたきつけた家康の戦いです。三成と反三成派の亀裂は、朝鮮出兵が原因とされていますが、それ以前からその萌芽はありました。むしろこれは組織の宿命ともいえるものです。

毎日戦争をしていた時代、戦上手は大変に重宝されます。その槍働きでどんどんと出世していくことができます。福島正則などの「武断派」とはそういう人々です。

ところが戦争のない平和な時代がやってくると、システム構築や組織運営や会計業務に長けた官僚型タイプの方が重宝します。この新時代の代表格が石田三成です。

そうなると、前者の人々はこの状況を冷遇と受け取ります。

「あれだけ戦場で働いたのに。今のこの組織があるのは我々の働きの上に成り立っているのに」と、不満をもつようになる。冷遇ではなく現状況への能力不適合が原因なのですが、その不満の放置は、組織全体を崩壊させ得る危険なものです。

現にこうした内部摩擦に端を発して関ヶ原の戦いが起こり、石田三成が敗れたことで、豊臣政権は崩壊に向かいました。福島正則らの武断派も全く望んでいなかった結果です。

有史以来、多くの人が「功績」に対する認識を誤ってきました。
功績は、将来性のサンプルにすぎません。その功績が、組織の将来につながっていないと判断された場合、評価はされない。そういうものです。

変化や組織の現在的状況にスタッフが追いついていないとき、この「冷遇錯覚現象」ともいうべき現象は容易に起こる可能性があります。組織が必要とする人材は、その段階と状況によって変わっていくものであることをよく理解しておくべきでしょう。

等比数列級に時代が変化していき、技術特異点(シンギュラリティー)を迎えつつあるこの時代、みなさんの備えは大丈夫でしょうか?

執筆者:三石晃生
東京生まれ。歴史学者・歴史論者/株式会社goscobe代表取締役。
大学2年時に渋沢栄一子爵・井上通泰宮中顧問官らが設立した温故學會・塙保己一史料館の研究員に就任、現在は研究員と監事を兼任。2017年には世界初の歴史分析を用いた企業・社会イノベーションコンサルタント、株式会社goscobe(グスコーブ)を設立。歴史的知見に基づいて、さまざまな大型プロジェクトや企業のコンセプトデザイン、アイディア創発などに協力。
教育分野では日本財団と東京大学先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクト「ROCKET」SIGで史学担当の外部講師として、異才の子どもたちへの白熱講義で活躍している。
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