
働き方や組織の形が変容するいま、どのように生きていけば私たちは幸せになれるのでしょう。大企業に入ったら道が開ける? イケイケのベンチャー企業で活躍する? それともフリーランスとして生きていけばいいの?
そんな悩みを相談しに、50歳になってから女装を始めたことでも知られる東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩さんを伺ねました。
◆安冨歩さん
銀行勤務を経て、京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。博士(経済学)。現在は東京大学東洋文化研究所教授。2013年から「女性装」を始める。執筆や講演活動のほか、絵画、音楽などの幅広い分野で活動。著書に「あなたが生きづらいのは『自己嫌悪』のせいである。」(大和出版)や「ありのままの私」(ピア)「マイケル・ジャクソンの思想」(アルテスパブリッシング)など。
会社は解体され、プロジェクト単位で仕事をしていくことになる
――人は孤独では幸せを感じられない生き物だと言われています。集団生活を前提とすると、個人が幸せになれる理想の会社組織のあり方は今後どのように変化していくと思いますか?
これまで、人は朝から晩まで働いてきましたよね。それはのべつまくなし作動する機械を、人が制御する役割を果たしてきたからです。会社において人は機械の一部。昔はそれで社会が成り立っていました。機械とそれを動かす組織があれば、その分だけ儲かって、給料がどんどん増えて、会社が成長して……。だから、個人として会社に所属することのメリットはあったけど、いまはもうほとんどないじゃない? なぜならコンピュータが機械を制御するようになったから。そうなってくるとみんな個人で働くことになるでしょうね。
――そんな状況の中でも、組織は人々から必要とされるのかなと思ったのですが……。
最終的には、会社という組織は消滅するはずです。たとえば以前だったら数百人の規模が必要だった会社も、今ではコンピュータがあるから、10人くらいで仕事ができちゃったりするでしょ。ということは今後もっといらなくなるんですよ。
だから固定化された組織ではなく解決すべき仕事があったらそれをプロジェクト化して、人が集まって仕事が終わったら解散、という形で動いていくんじゃないでしょうか。
20世紀のうちに日本がそういう風に組織を解体して仕事をするようになっていたら、今頃どうなっていたと思います?きっと経済はもうちょっとマシでしたよね。創造的な仕事ができたんじゃないですか。日本からAmazonやGoogleみたいなサービスが生まれていてもおかしくなかったと思います。
――これからはより自由に出入りができるような組織が求められてくる、と。個人ではどのような考え方が必要になるのでしょう。
残酷なことを言うようだけれど、実際いまの日本にはチャンスはほとんどありません。若者のために使えるお金を原発に使うような、こんな社会ですから。
沈みゆく船に乗っていてももっとやばくなるだけ。まずは、問題のある会社や組織を沈める覚悟で自らを守るべきだと思います。たとえば、法律に基づいて権利を主張し、正当な賃金や待遇を要求する。それには仲間同士団結せねばなりませんが、そうすれば、会社は健康な方向に変われるし、不要な会社は全部沈みます。なぜならそういう会社の多くは、その搾取の上にようやく成り立っているから。
いつまでも搾取の犠牲になっていちゃだめだと思う。きっとそういうことを考えるだけでも怖いとみんな思うから考えないし行動しないんだけど、それも洗脳だと思わない?
――確かに、小さい頃からそう叩き込まれているような気がします。
私から言えるのは、まず組織にしがみつくのは不毛であるということ。そして、そのしがみついている組織はまもなく解体されるということ。
若い人たちが「そのシステムおかしいじゃん」と表明すれば、間違いなくその組織は変わって生きます。さすがにいますぐ、全ての組織が解体されるわけではありませんが、徐々に変化していくはずです。
船の舵を違う方向に切れば、氷山に激突するという最悪の事態を避けられる。これは私からのお願いですが、若い人たちが怒ったら、船は沈まないで済むかもしれないから、結局これは会社や日本社会のためにもいいことなんですよね。
自分に植え付けられている「自己嫌悪拡大エンジン」の解除を第一歩に
――お話しされている理屈が頭ではわかるのですが、自分の立場で実行に移すとなるとなかなかハードルが高いように感じます。
それなら、まずは立場主義システムに捕らわれている呪縛を解いて、現実的に世界がどうなっているかに目を向けるべきですね。
――「立場主義システム」とは何でしょうか?
自分がどういう「立場」でどういう「役」を果たしているのかにこだわるあまり、自分の本来の感受性ではなく「上司」「学生」などを演じ、さらにその役割が自分のアイデンティティだと思い込んでしまう。それが「立場主義」です。その世界にいる限り、自分を大切にするのは難しいんです。
本来の自分を殺して役を演じていると、自分が自分でない状態に長く留まってしまいます。たとえば「音楽で生きていきたい!」って思っても、「いやいや、音楽なんか世間的に認めてもらうのが難しい職業だし、会社に勤めなきゃ」みたいに。自分がやりたいこと、正しいと思うことは否定し、立場上やらなきゃいけないことを正しいと考えてしまう。
――そもそも、どうして立場主義でいることが、自分を大切にできない原因につながるのでしょうか。
立場主義の世界で生きていると、自分の意見を言うことはできなくなるし、自分の本心と違うことをしているのに、その本心を偽っていることにすら気づかなくなります。だから搾取の対象となってしまう。
例えるなら、車を持っていないのに、その事実に気づいていないのと同じなんですよ。車がないから歩くしかないという現実を受け入れずに、車に乗っている人と同じ速度で移動しようとしたら、どうなりますか? 無理ですよね。でも、車を持っていないことに気づいていないから原因がわからず、「自分はなんてのろいんだ」と、悔しさで気が狂いそうになるじゃないですか。
原因がわからないとなると、間違った解決方法にすがりつき始める。すると、ずっと根本の問題を解決することができないから、「自分はダメな人間だ」と、自己嫌悪を永遠に生み出してしまいます。これって、「自己嫌悪拡大エンジン」を常時搭載しているようなものなんですよ。まずはそれを解除しないと、生きにくいままですから。
――それであれば、会社を辞めれば立場や役から逃げられるのではと思ったのですが、どのように思いますか?
いえいえ。日本全体が立場主義という思想で覆われているので、会社に入らなければ立場主義から逃れられるというわけではありません。町内会に入っているだけでも立場主義に支配されてしまう。むしろ派遣労働者など、弱い立場にいる人ほど強くハラスメントを受けやすいんです。
だから「外に幸せなところがある」って出て行っても、あなた自身の考え方が変わらない限りは、良くなりません。逃げている限りは、最後はどこか転がり落ちるだけなんですよ。逃げるにしても決意がいるんです。
――それはどのような決意でしょうか?
社会的抑圧と戦う決意ですね。私は新卒で入った住友銀行(現:三井住友銀行)を2年半で辞めて、大学院に入学して研究者になりました。その後の出世やキャリアを考えれば、そのまま銀行で働き続けていた方が良かったのに。どう考えても、生涯賃金はずっと多いわけですし。
それをわざわざ辞めて、大学院に学費を払って、安い賃金で助手になった。その犠牲を払った上でこの仕事を選んだわけだから、銀行を辞めた瞬間に世間的抑圧と戦う決意を固めていたわけですね。
――どこに行っても「立場主義」が存在するのであれば、我々は立場や役に固執しないように生きて行くしかない、ということでしょうか。でも、それってとても難しいことですよね。自分の本心を偽っていることに気づいてすらいないのに。
そうです。事実を受け入れることしか解決策はありません。根性で乗り越えようとしても無理なんです。でも、多くの人は根性で乗り越えようとしがちなんですよね。
不安とか恐怖の原因が自分自身にあるなら、メンタルを強くしようと頑張ってもなかなか強くはなれません。「自分はそういうものを抱えている」という事実をありのまま受け入れるしかないんです。
――とてもシンプルな解決策ですが、すぐに自分にできるかというと難しい気がしました。
立場主義にいると、手放す勇気が出なくなっちゃうんですよね。「社会的に抹殺されるんじゃないか」みたいな考えに陥って、自分のことがわからなくなっているんですよ。
そして自分自身のエネルギーの源泉がどこにあるのかも、どんどんわからなくなっちゃう。自分の内なる欲求を見つけるためにも、自分と向き合う時間を持つべきではないでしょうか。
――自分が嫌いなままでは幸せにはなれないですよね。まずは自分の「立場」ではなく、本当の欲求を見つける、と。安冨さんご自身も、そのように見つめ直すことがあったのでしょうか?
私は自分と向き合った結果、離婚したり親と縁を切ったりしました。自分を抑圧していたものを断ち切ったんです。立場主義からの脱却は、「自分の過去の成功が意味のないものだった」と受け入れる作業でもありますから、大変ですけれどね。
歳をとればとるほど、家族や会社といった周囲の人間から、「裏切るな」「これまでのお前から変わるな」みたいな抑圧があって難しくなります。けど、そんな辛い状況にしがみついている方が、物理的、精神的、金銭的エネルギーを消耗します。だったら、そういう状況のしがらみを手放した方が本当は楽なはずなんですね。
――お話を伺っていると、組織に所属する・しないに関わらず、いかに自分と向き合うかが大事だということですね。
そう、組織から飛び出たところで、単にお金なくなるだけかもしれないですからね。日本中のどこにいても同じですし、海外は海外でまた別のややこしい社会だったりするので、世界中どこに逃げても一緒です。
だったら、自分が長年いる会社や組織にいる方がいい。なぜならばそれなりの地位もあるし、それなりの信用もあるし、貯金もあるからです。
だから、みなさんに具体的なアドバイスをするなら、まずはいまの会社を上手に利用しましょう。有給使って休みましょう、医者に行って診断書を書いてもらって休みましょう、そして抑圧と戦いましょう。
――ときには嘘も必要になる、と。
嘘は、自分が信頼する大切な人にはついてはいけません。けれど、自分を支配する、抑圧するような人には、巧みな嘘をつかなきゃ戦えません。でも多くの人は、自らを支配し、抑圧する人を信用しないといけないと思い込むんですよね。なので抑圧と戦うためには嘘をつかないといけない。悪い組織にホントのことを言ったらその瞬間に、立場主義の奴隷になりますから。
(取材・文:中森りほ 編集:松尾奈々絵/ノオト 撮影:藤原慶)
取材協力:安冨歩さん
撮影協力:古民家ギャラリーかぐや