リクルート創業者・江副浩正が、起業家たちに信奉されつづける理由 『江副浩正』著者の2人が語る2つの「カンジョウ」とは

執筆者: 田中一成

リクルート創業者・江副浩正が、起業家たちに信奉されつづける理由 『江副浩正』著者の2人が語る2つの「カンジョウ」とは

執筆者: 田中一成

江副浩正。

株式会社リクルートの創業者の名は、昭和史に残る贈収賄事件「リクルート事件」で世間に広く知れ渡った。40代以上の読者なら、国会で証人喚問に応じた「罪人」の印象が強いのではないだろうか。

その一方で、江副氏は「東大が生んだ戦後最大の起業家」と呼ばれ、数多くの起業家に信奉されている。孫正義、澤田秀雄、堀江貴文、藤田晋、江幡哲也、村井満。日本を代表する多くの起業家が江副の影響を受け、日本の経済社会を形作ってきたのである。

馬場マコトさんと土屋洋さんが書いた『江副浩正』には、江副氏の事業の成功からリクルート事件による転落、そして人生の最期までが綴られている。約500ページにも及ぶ本著は、どのようなプロセスを経て完成したのか。そして、江副氏が多くの起業家に信奉される理由は何か。2人の著者にお話を伺った。

100人以上からの情報提供で知った「江副浩正」に呆然とした

土屋洋さん(以下、土屋)
私は新卒でリクルートに入社し、定年まで47年間勤めました。今の私の思考、行動に大きな影響を与えているのは、江副さんにほかなりません。江副さんから受けた恩義に報いるために、『江副浩正』を出版しました。

土屋洋さん。1946年大阪府豊中市生まれ。大阪大学文学部卒業。1970年日本リクルートセンター入社後、採用広告事業、デジタル通信事業、教育研修事業に従事後リクルートスタッフィング監査役、2007年リクルート定年退職。以降、2017年まで株式会社メンバーズ入社後監査役を務める。著書に『採用の実務』(日経新聞社)ほか多数。

馬場マコトさん(以下、馬場)
私はリクルートの在籍期間は2年間と短いですが、江副さんに大きな影響を受けた1人です。リクルートを辞めてからも、外部からずっと見てきました。

この本を上梓するまでには、100人以上の関係者に取材協力や資料提供をお願いし、2年の歳月をかけました。

馬場マコトさん。1947年石川県金沢市生まれ。1970年早稲田大学教育学部卒業。日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)、マッキャン・エリクソン、東急エージェンシー制作局長を経て、1999年より広告企画会社を主宰。JAAA第4回クリエイティブ・オブ・ザ・イヤー特別賞のほか、ロンドン国際広告賞など、国内外広告賞を多数受賞。第6回潮ノンフィクション賞優秀作、第50回小説現代新人賞、受賞。著書に『戦争と広告』(白水社)ほか多数。

土屋
関係者への取材を重ねる中で、全く知らなかった江副さんの情報が数多く出てきました。プラス面とマイナス面を知り、正直、呆然としましたね。

馬場
あぁ、こんな話を知ってしまった……と思うこともあって。この事実を明るみにしていいのか?と、ひどく迷いましたよ。

土屋
全てを事細かく書くと500ページでは足りないので、取捨選択を行いました。それでも書かなかった事実は多くはなく、悪いことも含めてできるだけ忠実に書きましたね。隠れていたことが明るみに出たけど、そういう行動をしたのも最終的には理解できたといいますか。どんな事実を知っても、江副さんは凄い人だと思いました。

――江副さんは、どういう点が優れた起業家として評価されているのでしょうか?

馬場
彼は2つの「カンジョウ」に優れた人だと思います。「カンジョウ」とはエモーションの「感情」と、計算の「勘定」のこと。その2つを高いレベルで持ち合わせた人なんです。それが江副さんを江副さんたらしめ、多くの起業家が彼を信奉する理由なのだと思います。

貧しい幼少時代が江副の贈り物好きに

馬場
「感情」の面から見ると、江副さんは贈り物に大きいエネルギーを注ぎました。とにかく、相手を喜ばせたい思いが強い人で。社員が結婚すれば包丁セットをあげて、子どもを妊娠すれば『スポック博士の育児書』をみんなに贈っていた。

土屋
私の長男が生まれたときには五月人形の兜の鎧をいただきました。その時は社員が400~500人の頃。事業に奔走する社長が、一社員の子どものためにプレゼントするなんて、一般的ではないでしょう。でも、江副さんから贈り物を受けとった社員はたくさんいたようです。気配りに長けた人でしたね。

馬場
プレゼントは社員にとどまらず、社外の人にもよく贈っていたようです。本著の取材で野村證券の方に話を聞いたとき「贈り物のレベルでは江副さんに敵わなかった。とにかく気配りがすごかった」と語っていました。証券会社はおもてなしのプロ。その業界のトップを走る野村證券の方が脱帽していたくらいですから。

不動産会社としては新興企業だったリクルートコスモスは、最終的にマンションディベロッパーでは業界2位にまで上り詰めました。その大躍進の影には、江副さんの贈り物があったのです。江副さんは得意先や広告の制作者などあらゆる関係者に、ことあるごとにプレゼントをしていた。何を贈るかは社員と前日にチェックして、納得いかない物には「それじゃ喜んでもらえないだろう!」とダメ出しするほどでした。そのように考え抜かれたプレゼントは関係者の心を打ち、結果としてその後の取引を円滑にしたのです。江副さんのプレゼントへのこだわりが、リクルートコスモスの躍進にもつながっていました。

――どうしてそこまでプレゼントにこだわりを持っていたのでしょうか。

土屋
原点の1つには貧しい幼少時代があったと思います。江副さんが生まれたのは1936年。5歳の時に日本は太平洋戦争に突入し、彼は生まれ育った大阪から1人で佐賀へ疎開しました。住む先を転々とし、食べ物にも窮する状況で、中学・高校時代は貧しさからみじめな思いをしていたそうです。

江副さんはお金で苦労したため、お金が手に入ったときは、贈り物として周りに還元しようと思ったのではないでしょうか。

馬場
もちろん、お金を持っているから贈ってやろうという傲慢さではなく、純粋に人を喜ばせたかったんでしょうね。口下手な人だったので、お金や手間をかけることが人に対する誠意の表明だったのです。

土屋
事業が成功してさらにお金が入るようになると、プレゼントの金額も上がり、常識を超える贈り物も多くなってきました。未公開株をばらまくのも、その一例だったのだと思います。

馬場
その贈り物好きの性格が災いし、リクルート事件に繋がったのは否定できません。ただ、あれを含めて贈り物は純粋な好意であり、江副さんの魅力を語る上では欠かせないものなのです。

事業の成功を支えたのは、並外れた直感力

馬場
江副さんのすごさを「勘定」、数字の面から見ると、短期間で会社を大きくしたことが挙げられます。

土屋
彼は数多くの事業を手掛け、大半を成功させました。就職、進学、住宅、旅行、結婚など、さまざまな分野で日本初の情報誌を創刊しています。そして、不動産、通信・コンピューターにも事業を拡大し、いずれも日本トップクラスの事業に育てた。リクルート事件で退任する54歳までには、リクルートグループは全体で売上1兆円、営業利益1000億円の規模になっていました。

馬場
この年齢で1兆円企業に到達するのは異例でしょう。

――江副さんが事業家として優れている点は何だと思いますか?

土屋
2つあります。1つは旺盛な事業意欲。これからマンションが売れると確信すれば不動産業に乗り出し、当時マンションデベロッパーでナンバーワンだった大京を抜くつもりで事業を邁進。猛スピードで駆け上がりました。

通信事業を興したときもそうです。日本を変えるという野心と意欲を持ち、事業を進めた。今も起業家はたくさんいますが、江副さんを超える野心をもった、スケールの大きな人はなかなかいないでしょう。

もう1つは徹底的な合理主義ですね。江副さんは目標を立てたら、最短の道筋を見つけられる人でした。

馬場
経営を直感で掴める人だったのでしょうね。直感でゴールがわかるから、周りにいちいち解説せずに指示を出していた。なぜその道筋が立つのか、現場で事業に関わる人でもわからないんですよ。正直、周りがそのスピードについていけてなかったんですね。

土屋
簡単に言うと、頭が良い人なんです。ものすごいスピード感で部下に指示を出していた。そして、その指示に一切の間違いがなかった。道筋の正しさには敬服しましたね。現場に通じたうえで直感によって導かれる合理的な道筋。これは真似できるものではありません。

創業者が去っても発展しつづける「個を生かす」企業文化

――創業者がいなくなってダメになる会社は少なくありません。しかし、江副さんがいなくなった後のリクルートの業績は順調に伸びています。

土屋
2014年には東証一部に上場し、3年後の2017年の売上高は54%増の1兆8399億円に上りました。売上高の4割は海外事業で、時価総額は上場時の2.5倍。この伸びはすさまじいですよ。

馬場
彼がいなくなった後のリクルートの発展ぶりも、多くの起業家が信奉する理由の1つじゃないでしょうか。

土屋
リクルートの発展が続いている理由は、江副さんが作り上げた企業文化にあるでしょう。

江副さんは学生時代に起業し、どこかの会社に就職することはありませんでした。大企業に勤めると、大企業の考え方が染み付いてしまう。「会社はこうあるべきだ」という既成概念にとらわれて、「自分が理想とするもの」を目指さなくなるでしょう。だから企業での勤務経験がなかったことがとても良かったんです。白紙の状態から自分が理想とする会社を作り、経営とは何かを突き詰めて考えられました。

その結果、それまでの日本の企業にはなかった斬新な考えで組織を作り上げた。一言で言えば「個を生かす」組織です。

馬場
手を挙げれば、一社員でも新規事業をどんどん任せてもらえる企業ですね。

土屋
そう、社員はリクルート社内で起業できます。資金が必要なら投資するし、人材も提供してくれる。権限は社員に与える一方、リスクは会社が背負う仕組みができていました。

優秀な人を採用し、その人の能力がフルに発揮できれば会社の利益になる。創業当初から徹底して、その単純な原則を追求しました。多くの大企業のように「会社の利益のために社員をどう管理するか?」なんてことを考えていないのです。会社を「社員一人ひとりが輝き、伸び伸びと力を発揮する場所」と捉えていました。

馬場
「38歳定年制」なんて、他の企業にはない制度でしょう。当時から明確に、社員が高年齢化したらダメになるという考えを持っていた。

土屋
平均年齢を若くした方が、新しい考えがどんどん入り、会社は活力にあふれ挑戦的でいられますからね。

馬場
多くの企業がリクルートの組織経営を真似できないのは、江副さんのように、大胆になりきれないからではないでしょうか。

今の日本には、第2、第3の江副浩正が必要

――江副さんの生き様を体感したお2人から見て、今の日本社会にはどういった人材が必要だと思いますか?

土屋
江副さんが東大生の時、ほとんどの学生が大企業に就職する中、起業の道を選んだのは心に期するところがあったからでしょう。どでかいことをして世の中を変えてやろうという大きな野心を持っていた。情報誌に始ま、りリゾート、不動産、通信と次々に新しい事業を始めたのも、「日本の社会を変えるのだ」だという強い気持ちがあったからこそでしょう。江副さんはスケールの大きい、本物の起業家でした。

馬場
江副さんがこの世を去った現代は、ITを軸に起業しやすい環境が整ってきました。その環境を生かして、若くて勢いのある起業家がもっと増えてほしいと思っています。

土屋
今の日本経済は伸び悩んでいますから、社会全体の利益を考えられる、野心ある若者が出てきたらいいなと。若い人たちはみんな大きな可能性を持っています。マザーズの上場くらいで満足してほしくないですね

馬場
日本社会の閉塞感漂う状況をブレイクスルーする若者、それこそ、第2、第3の江副浩正が出てくることを願っています。

 

文・取材:田中一成 編集:松尾奈々絵(ノオト) 撮影:‎二條七海

執筆者:田中一成
1994年東京都杉並区生まれ。大学卒業後は新卒のフリーランスライターに。主にビジネス分野や著名人の取材・執筆を行なっている。また、ゴールデン街でバーテンダーとしても活動している。
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