古代ローマに学ぶ、組織の繁栄に必要な2つのポイント

執筆者: 中原雄一

古代ローマに学ぶ、組織の繁栄に必要な2つのポイント

執筆者: 中原雄一

紀元前27年。イタリア半島に誕生した小さな都市国家は半島全域を征服し、やがて地中海全域を飲み込み巨大な国家「ローマ帝国」を形成しました。その後、国家は1200年続き、中でも「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる期間は200年にも及びます。

今回お話を伺った本村凌二さんは、古代ローマ史研究の第一人者です。本村さん曰く、数ある歴史の中で繁栄から滅亡までの起承転結をこれほどまで完璧に見せてくれる国はローマ以外にありえないとのこと。その歴史を振り返ることで、現代社会にも活かせる学びがたくさん得られると語ります。そこで今回は古代ローマの歴史から学べる組織運営のあり方について伺いました。

本村凌二さん
1947年熊本生まれ。1973年一橋大学社会学部卒業後、1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位を取得し退学。その後東京大学教養学部、同大学院総合文化研究科教授、早稲田大学国際教養学部特任教授を経て退官。東京大学名誉教授。専門は古代ローマ史。「薄闇のローマ世界」でサントリー学芸賞受賞、「馬の世界史」でJRA賞馬事文化賞、一連の業績に対して地中海学会賞受賞などの受賞歴があります。著書多数。

他国の良いところを取り込み、洗練する

――まず最初に、古代ローマはなぜ繁栄したのか、教えてください。

ポイントは大きく2つあると思います。まず1つ目は「誠実」であったこと。例えばローマは戦う際、正攻法の戦術を好みました。同じような年代に存在していた三国志の世界では、騙し合いが日常茶飯事であり、勝てば何をやってもいいのだという風潮がありました。しかしローマ軍においては敵国を騙して戦った記録は残っておらず、仮にそんな戦い方をしていたとしても、声高に主張しない文化があったのだと推測できます。

誠実さの背景には、強い信仰心があったのではないかと考えています。その信仰心の強さについては多くの歴史家、哲学者が言及しています。例えば紀元前1世紀頃、ローマの政治家であり哲学者であったキケロ。また、その150年ほど前には、ギリシア人で、ローマに20年以上抑留されていた歴史家、ポリビオスも言及しています。信仰心が強いということは、常に神々に恥じぬ振る舞いを心がけていたということ。そのマインドが誠実さにつながっていったのではないかと考えられます。
また父祖の威風を大切に重んじてきました。それは父祖に恥じないように、またはそれに勝る行いをしようという意識が強いこともローマ人らしさです。

――「誠実」であることがローマの繁栄にどのように関係しているのですか?

誠実さがあったから、他の国の技術を自国に取り入れ、洗練していくことができたと思っています。ローマは自国独自でなんらかの技術に長けていたわけではありませんでした。しかし、周辺諸国の優れたものを取り込み、さらにブラッシュアップして新しいものを作り上げていきました。

たとえば有名なアッピア街道。現在の技術に引けを取らない建築物だと言われていますが、もともとは土木建築技術が進んでいたエトルリア人から学びました。また、現在もヨーロッパをはじめ多くの国々の法律の根幹にあるローマ法も、もともとはギリシアの法律だったものをベースにローマ人が作り上げました。それも、ただ真似ただけではなく、具体的な事例に適用させつつ、法学者同士が議論をしながら、判例集のような形で練り上げていったと言います。

「誠実」であるということは、あらゆるものをごまかさないということ。だからこそ何ごとにおいてもより良いものを作るために、不足しているところに気づき、補い、洗練していけるのです。何かを取り入れる際、仮に他にもっと容易いやり方があったとしても、その時考えうる最善を尽くすという思想がローマ人にはあったのではないかと思います。

チャンスを与え続けることで主体性を育む

――2つ目のポイントはなんですか?

2つ目のポイントは、「寛容さ」です。

ローマ帝国といえば、隣国をどんどん征服して勢力を拡大させていった印象があると思いますが、吸収した国に対して、一方的に支配して自国の価値観を押しつけるようなやり方は好みませんでした。征服した先が持つ独自の言語や宗教、慣習などには干渉しなかったのです。そうすると征服された側も、必要な知識や技術を学ぼうという意思が働き、例えばラテン語などは学んだ方が役に立つと理解され、各国の主体性を重んじながらも分割統治を実現させていきました。

また、失敗を許容する文化も主体性を強化していたと考えられます。特に、古代ギリシアと比べた時、その傾向は顕著です。ギリシアでは敗戦将軍になると、たとえ国に帰ったとしても良くて追放、下手すると処刑されてしまいます。だから、敗戦将軍はまず自国に帰りませんでした。

一方、ローマの場合はたとえ戦に負けてしまったとしても、暖かく迎え入れます。典型的な例としては紀元前216年、カンナエの戦いで敗戦将軍となったヴァローという人物が挙げられます。その戦争にて、敵軍から壊滅的な被害を受け、彼はローマへの帰国を余儀なくされますが、その失態を責められるよりは、むしろこれまでの労を労われ、迎え入れられました。そして、その後も数々の戦いで活躍しました。

ローマ人の考え方としては、「敗戦しただけで大変な社会的屈辱を受けている。だから次のチャンスを与えてやれば、雪辱を晴らしたいという強い気持ちがモチベーションになり、今まで以上の力を発揮する」といったものが根底にあったのではないかと思います。だからこそ、一度失敗をした軍人は、それまで以上に主体的に国のために働くモチベーションが持てたのだと思います。

大切なものを見失い、滅んでしまった大帝国

――逆に、ローマが衰退した理由としては何が挙げられるでしょうか?

ローマが衰退した理由は一言で言い表すことが難しく、様々な要因が複雑に絡み合いし、その結果、ローマの体力を奪っていったというのが真実です。

ただ、中でも主体性を支えていた「寛容さ」を失ってしまったことが大きな要因ではないかと思います。

ローマは紀元前509年から共和政を導入し、最初こそ身分の高い者にしか発言権がありませんでしたが、ストライキなどの抗争を経て、徐々に一般市民の発言力は増していきました。ただ、晩年は皇帝権力が絶対なものになっていきます。

すると、市民の中の「自分たちでこの国を支えるのだ」という主体的な意識が失われていき、その結果、公職につきたがるローマ市民は減りました。公職者には高い給料が支払われたわけではなく、もともと、名誉や国家に尽くしているという気概で務めていたからです。

また、ゲルマン民族をはじめとする異民族が大量に押し寄せてきたことも「寛容さ」を捨てざるを得なくなった原因です。国が混乱する危険性があったのですが、とりあえずは受け入れました。しかし、ローマ人のなかには異民族の生き方・価値観を嫌悪する者も目立つようになり、全体として寛容性を失っていくことになります。その結果、各地で小競り合いが起き、国力が削がれていきました。

さらに、キリスト教が浸透していったことも寛容性が失われていった要因です。キリスト教が拡大した3世紀あたりは、国内が混乱しており、人々が救いを求めている時代でもありました。そんな風潮とマッチして、この新しい宗教はジワジワと広がっていきます。

キリスト教は、それまでローマにあった多神教とは対照的に一神教です。多神教の立場から見れば、どんな神様を信じるのも自由なのですが、それをキリスト教側は拒絶しました。そうなると自分たちの信じている神を否定されるわけですので、ローマとしては受け入れるわけにはいきません。結果的に、キリスト教徒の反感を募らせてしまい、その対応に追われることになりました。

313年、皇帝コンスタンティヌスが「ミラノ勅令」により禁止されていたキリスト教を認める旨を国民に発表します。その後教会が権力を持ち始め、ますますその勢力を伸ばしていくことになりました。キリスト教は他の神様を認めないという点で、寛容性の低い宗教であると言えます。だからこそ、キリスト教の人口が増えていったということは、当時のローマ人の寛容な性質がどんどん変化したことにも繋がります。

寛容性が失われた結果、市民の主体性が損なわれ、国の内外で小競り合いが増え、395年にローマは東西に分裂します。その後、西ローマ帝国は476年に滅亡。東ローマ帝国は15世紀にオスマン帝国に侵攻されるまでピザンツ帝国として生き延びますが、それはもはや「ローマ」といえる国ではありませんでした。ですから、ローマが滅んだのはいつなのかという問題には議論の余地がありますが、私は西ローマ帝国が滅亡した時期をローマが滅んだ時代だと考えています。

良いものを残す、そのために必要なもの

――古代ローマ繁栄から滅亡までの歴史から、企業が学べることは何でしょうか?

まず、誠実さは企業を成長させるうえで必要な要素だということです。誠実であることで、他のカルチャーや良い製品に対するリスペクトが生まれ、その結果、良いものを取り入れ、洗練して自分たちの文化や商品をより高度なものにしていくことが可能になるからです。

実は日本人は昔から古代ローマ人と近しい感覚を持っていたのだと思います。たとえば、1930年代、中国の思想家である魯迅が7年ほど仙台を中心に日本に滞在していた後、帰国すると「日本人の誠実さを中国人は学ばなければならない」と言っています。日中戦争が始まろうとしており、関係性が最悪だったにもかかわらず、この発言が出たということは、滞在中によっぽど強く感じたのだと思います。

もしかすると、最近様々な企業で起こっている不祥事は、当時の日本人の在り方が忘れられてしまっているが故に起きているものなのかもしれません。経済的な合理性を求めるだけでなく、日本人が本来持っていた誠実さを、今一度見つめ直す時かもしれません。

また、メンバーの主体性を育むためには、「寛容さ」を持つということと、失敗を許容する文化が必要だということも古代ローマのあり方から学べるポイントなのではないでしょうか。

「寛容さ」を持つということは、企業に当てはめると、社員の個性を受け入れ、認めるということに置き換えられると思います。自身の考えを認めてもらうことができた社員は、自らの行動に自信を持てるようになり、その結果、指示がなくとも自らで考え、動くことができるようになります。

また、失敗を許容するということについて、たとえば部下に対して、教育をしてもなかなか芽が出ず、プロジェクトの失敗で多額の損失を出したとします。それでも、そこで辞めさせようと考えるのではなく、「将来何倍にも大きくプラスにして返してくれればそれでいいのだ」と考え次のチャンスを与える。そうすれば一度失敗を経験しているからこそ、取り返そうと、これまで以上に主体的に働いてくれる社員が増えるのではないかと思います。

個人的には、日本の雇用においても、終身雇用制を今一度導入しても良いのではないかと考えています。たった1回2回の失敗で見限るのではなく、腰を据えてじっくり育てることが大事だと思います。

――ローマの栄枯盛衰を一つの時代が起こってから滅ぶまでと捉えた時、現代はどの段階に当たるのでしょうか?

現代はローマの末期に非常に似ているなと思っています。新しいテクノロジーである通信機器が信じられないスピードで普及し、社会の制度や働き方も大きく変わってきました。ローマが衰退し、新しい文明が出てきた状況によく似ています。

だからといって、変わることを悲観的に捉えて昔の考え方にしがみつくのではなく、かといって手放しで新しい文化に迎合するのでもなく、そのせめぎ合いの中でより良い文化や仕組みを作っていくことが重要です。そのためにも、当時のローマという国に何が起こり、国民が何を考えていたのかを知ることは現代に置いて非常に参考になるのではないかと思ってます。

この変化の時代、たとえ大切にしたいと思う文化や伝統があっても、簡単に継承することはできません。とある20世紀の詩人がこんなことを言っています。「伝統は相続できない、それを望むなら一層の努力が必要である」。努力とは、理論武装なのではないかと思っています。なぜこの伝統を継承すべきかと問われた時に、説得力のある根拠を言えなければ受け入れられません。企業文化も同じです。誠実さを持って、あらゆる意見や社会の状況を様々な可能性を考慮しながら寛容に受け入れ、その上で洗練していく努力こそ、良いものを残すために必要なあり方だと思います。

永遠というのはありません。だからこそ、自らの強み、価値のある財産を後世に残すため努力を怠らず、その上でより良い次の文化が生まれる土壌を整えることが大事です。

ローマの繁栄から滅亡までには、一つの企業が各段階に合わせてどうあるべきか、ということを考えさせられるヒントが詰まっていると思います。ぜひとも歴史から学んでいただいて、今後の経営に活かしてもらえればと思います。

執筆者:中原雄一
2013年 ネットプロテクションズ入社。
入社後は一貫してBtoB決済事業部において事業推進に携わる。現在はマネージャーとしてプロダクトマネジメント、事業推進全般を担当。

「個性が活かされ、コラボレーションによって高い価値創造を行う組織づくり」を行うべく、マネジメント・リーダーシップ・事業戦略論・ファシリテーション・意思決定論についてや歴史・文化人類学・生物学から組織論への応用について日々学び、集団・組織における生産活動のメカニズム・本質を追求している。
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