貨幣の幻想〜カンファレンスが描いた不可避の未来とは〜_THINK ABOUT CONFERENCE『貨幣の束縛』アフターレポートNo.4

貨幣の幻想〜カンファレンスが描いた不可避の未来とは〜_THINK ABOUT CONFERENCE『貨幣の束縛』アフターレポートNo.4

2018年10月30日に開催されたネットプロテクションズ 初めてのカンファレンス『貨幣の束縛』。カンファレンス直後、その熱の冷めやらぬ間に登壇者の一人である歴史論者の三石晃生氏にインタビューした。ひときわ異彩を放っていたそのトークの真意、そして歴史学者の眼差しから見えたカンファレンスで明らかになった不可避の未来とは?

──登壇、おつかれさまでした。三石さんと渡邉さんのトークは非常に面白かったのですが、カンファレンスの登壇者のトークでもお二人はひときわ異彩を放っていたように感じました。その意図についてもカンファレンスを補うものとしてお聞きしたいのですが。

そうですね、確かに異色のトークでした。非常に示唆的だったように思っています。とくに渡邉さんの貨幣の未来についての懐疑的な感覚は、本質的な問いだったと思っています。

──懐疑的な感覚ですか?その点を詳しくお聞きしたいです。

『貨幣の束縛』では、貨幣の未来や進化などが中心にトピックが展開されました。しかし「貨幣」といったとき、それを自分たちの金と同一視することはありません。たとえば貨幣の未来がどうなるか、と問うたとき、自分のお金がどうなるか、と余り考える人はいません。貨幣がフィンテックの技術で・・・などと自分が現在アプローチできない最先端の技術ベースで考えてしまいがちです。

貨幣といったとき、自分たちから遠いもの、あるいは高踏的なものとして捉えすぎなのではないでしょうか。その貨幣の未来は自分たちの手の届かないところで日々刻々と進んでいて、自分たちはその貨幣の未来から「影響を受ける」けれども、自分たちが未来に「影響を与える」とは考えていない。はたして、私たちは未来の傍観者になってしまってよいのでしょうか?

三石晃生(KOSEI MITSUISHI)。東京生まれ。歴史学者・歴史論者/株式会社goscobe代表取締役。 大学2年時に渋沢栄一子爵・井上通泰宮中顧問官らが設立した温故學會・塙保己一史料館の研究員に就任、現在は研究員と監事を兼任。2017年には世界初の歴史分析を用いた企業・社会イノベーションコンサルタント、株式会社goscobe(グスコーブ)を設立。歴史的知見に基づいて、さまざまな大型プロジェクトや企業のコンセプトデザイン、アイディア創発などに協力。 教育分野では日本財団と東京大学先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクト「ROCKET」SIGで史学担当の外部講師として、異才の子どもたちへの白熱講義で活躍している。

”先進国”ケニアと「私たちの貨幣」

みなさんが使っているかどうかは別として、LINE payというシステムがあります。他社さんを引き合いに出して申し訳ありません(笑)。携帯のメッセージで送金できるシステムですね。このモデルの先駆がケニアの「M-PESA」というシステムです。ちなみにpesaはケニアのスワヒリ語でお金を意味します。

このシステムではアフリカでは今や完全に必須インフラの中に組み込まれています。このM-PESAは銀行口座機能までももち、公共料金や学費支払いもできます。

──ケニアにおけるM-PESAの普及率は爆発的だそうですが、要因はなんでしょうか?

まず、銀行という既存金融インフラが未発達であったことです。

そもそも銀行に口座自体、持ってない人が非常に多かった。と、いうのもケニアでは信用がなければ銀行口座を開くことができません。貧しい人々は銀行でいう「信用力」が乏しい。そのために口座を持つことができない。

そんな環境の中、2005年に貧困層向けの小口融資、マイクロファイナンスとしてM-PESAが試験的にスタートしました。しかしナイロビの人たちは、このシステムを上手に利用して、マイクロファイナンスではなく送金システムとして使っていたのです。結果、M-PESAは送金システムとしてリリースされていくことになります。M-PESAの誕生経緯からして、既存の金融システムの軌道上にないのです。

──銀行など既存の金融機関は反対しなかったのでしょうか?あっさりとM-PESAに移行していったのですか?

やはり猛反対がありましたし、セキュリティーに問題があるとするネガティブキャンペーンもありました。しかし地方に住む人、そして銀行口座を持てない低所得者層の人々は携帯だけで決済できるM-PESAを選択していきました。すると爆発的に普及し、定着するM-PESAに対して今度は銀行側が手のひらを返し、いかにM-PESAと提携していくかを模索し始めるという現象さえ起こったのです。

──素朴な疑問なのですが、なぜ貧困層も携帯電話を持っているのでしょうか?高価ではないでしょうか?

ケニアはインフラ整備が遅れていたのが幸いしたといえます。固定電話の設置という過程から携帯電話へ、というのを我々日本は体験していますが、ケニアでは固定電話をすっ飛ばして携帯電話から入りました。明治の日本が産業革命の段階的発展を経験せずにそのまま果実だけを導入したため、無理やりにではあっても列強の一つに名を連ねたのに少し似ています。途中過程が抜けている方が、案外イノベーションは起こりやすいのかもしれませんね。

そもそもM-PESAはネットではありません。電波で通信するショートメールですから、あくまでもローテクノロジーです。テクノロジーの進歩だけがイノベーションを起こすわけではないという好例です。そして我々が「どう動くか」が貨幣の未来のあり方を大きく変えていく可能性があるのです。

テクノロジーと時代の潮の流れをみて、うまくボードに乗ろうというのではなく、未来の貨幣を「私たちの貨幣」にしていくために、貨幣に対して主体的に関わりを持っていく必要があると思っています。

──タルーマーリーの渡邉さんが、自分の言葉と実感とで全てを語られていたのが印象的でした。

打ち合わせ一切なしで、私たちの思っていることをその場で新鮮なままお伝えしようと楽屋で決めまして。ファシリテーターのDocomoの笹原さんはとても大変だったと思いますよ。実際、笹原さんに楽屋でそういわれました(笑)

「貨幣の常識」を破った『貨幣の束縛』カンファレンス

──今回のカンファレンスを振り返ってみての感想などをお聞かせください。

率直にいうと、レベル的にはかなり高かったのではないかと思います。

一番最初が山口揚平さんの基調講演でしたが、このカンファレンスそのものを端的に表していたような気がします。

山口さんの基調講演の中で、南洋群島のヤップ島の事例を挙げていましたね。ヤップ島のヤフェとよばれる大人が数人で運ぶような巨大な石貨の話です。

貨幣というのは、交換財として交換に適しているようにできてきたものだとされます。しかし、ヤップ島の石貨のヤフェは運ぶのに大きすぎる。つまり交換のためにはなかった。この巨大貨幣は持ち運んだのではなく、お互いにもらったもの、譲ったものや負債を刻んでいった記帳という「記録」から始まった、と山口さんは基調講演で述べられていました。

さらりと述べていましたが、これは「経済学の常識」とは全く逆の主張です。

経済学の教科書中の教科書、『マンキュー マクロ経済学』の中でも

貨幣の諸機能をよく理解するには、貨幣のない経済(物々交換経済)を想像してみればいい。貨幣のない世界で取引が成立するには、(ちょうどよい場所でちょうどよいときに)2人の人間が互いに相手の欲しい物をもっているという希な偶然、すなわち欲求の二重の一致(double coincidence of wants)が必要である。物々交換経済では、単純な取引しか行えない。貨幣を使うと、もっと間接的な取引が可能となる。

(グレゴリー・マンキュー(足立英之・地主敏樹・中谷武・柳川隆訳)『マンキュー マクロ経済学Ⅰ』入門編、第3版、東洋経済新報社、2011年「第 4 章 貨幣とインフレーション」第110頁より)

と、言っています。

──まだ実感がわかないのですが、例をあげるとどのようなものがあるでしょう?

たとえば私はコーヒーを一杯持っています。でも今はワインが欲しい。コーヒー気分ではない。今、私は酔いたいんです。

あなたはちょうど今、肉を持っている。しかしあなたは靴が壊れてしまったので帰るために靴がほしい。と、します。

この私たちの間では交換が行われないですよね。このコーヒーを履いてお帰りください、というのは無理です。肉で酔えといってもそれは無理でしょう。

偶然、持っているものと、欲しいものとが一致したときにしか、交換が行われないという大変不便なことが起こっています。

あなたは靴をもっている人を探しだして、その人が何を欲しいかを聞いて、あなたは肉を「わらしべ長者」のように何回も物々交換していかなくてはいけない。だったらもう、裸足で帰った方が早いですよ、きっと(笑)

この欲しいものしか交換できないという不便を回避するために生み出されたとのが貨幣である、というのがこの一文が言いたいことです。

これはマンキューが初めて提唱したものではなく、紀元前ギリシアのアリストテレスの『ニコマコス倫理学』で靴屋と大工の交換の喩えを初出とし、アダム・スミスの『国富論』、カール・メンガーやカール・マルクスなどへと引き継がれていく「貨幣起源の常識」です。

これをあっさりと冒頭から「貨幣の成り立ちはそうではない」、と従来の貨幣の本質を山口さんは否定された。経済学部ではマンキューを教科書にしますから、経済学を学んだことがある方は特に「え、交換が貨幣のはじまりではないの!?」と驚かれたと思います。貨幣の幻想を破るような基調講演から始まった。これは非常にこのカンファレンスを端的に表していたように思います。

あなたは今、貨幣を生み出せますか?

──お金が物々交換から始まったわけではない、というのは私も聞いていて驚きました。事実、大学でもそう教わりました。

決して思いつきや一個人の見解ではありません。経済学史に位置付けられた伝統的な考え方です。19世紀の美術評論家で名高いジョージ・ラスキンや20世紀の法制史学者アルフレッド・ミッチェルイネス(本来ミッチェルとイネスの間にはハイフンがついている)などが考えた、

「貨幣の始まりは、当事者間の信用である」

と、する考え方です。

──今言われた「当事者間の信用」というのは具体的にどのようなものでしょうか?

AとBという人がいたとします。Aの貨幣はBのAに対しての負債であり、Bが負債を払えばAの貨幣は消滅する、と。貨幣は、信用と負債の社会関係に基づくと考えます。つまりこの立場に立てば、「貨幣は割と誰もが創造することができるもの」だということです。

よりわかりやすい具体例を挙げましょう。

このインタビューの値段が10万円だとしますね。仮の話ですよ。

でもインタビュー直後にそれがもらえるわけではなく、掲載された翌月末に支払われるとします。

支払いまでがあまりに長くて、私、家賃が払えなくなる危機に瀕したとしましょう。そこで大家さんに

「インタビュー費が入ったら、これを持ってきてください。現金10万円と交換します」

と、泣きつきます。大家さんはこの証書を手元におきます。場合によっては、またこの大家さんもちょっと急場のお金に困って、「この証書を持っていけば10万になるから」と、この証書を他人に10万円の価値として譲ったとします。数ヶ月後、めぐりめぐって全く関係のない人がインドからやってきて、

「アナタ10万ダシテ」

と、この証書を持ってくることがあるかもしれません。

これは、私の借用証書が貨幣として流通していたということなのです。そして私が支払い、この証文を引き取ることでこの私の貨幣は消滅します。あるいは、この大家さんが人徳者で、「生活に困っているのだから」と証書を破り捨てても、この貨幣は消滅します。

またここで重要なポイントなのは、三石に価値があるかどうかです。三石は過去にもこういうことがあったときに必ず払っているし、それどころか数万円上乗せしてくれる上に即金で出すらしい、会社の社長らしいぞ、という「信用」があればこれは貨幣として受け取ってくれるわけです。一度もちゃんと払ったことがない、という人物から発生した貨幣を受け取る人は皆無だろうと想像されます。信用がない。だから貨幣は発生しようがない。

十字軍遠征頃から、出兵する貴族の借金の借用証書に裏書きが書かれてそれが貨幣として流通していくこともよくありました。

国家や中央銀行が発行する銀行券ばかりが貨幣ではありません。それは山口さんが基調講演で話されていたピカソの小切手の話もそうです。ピカソだけではなく、私のような無名の人間でさえも借金をして証文が流れれば、私から貨幣が生まれる可能性は無いわけではないのです。

──今ようやく理解できました。三石さんが負債や借金の話をカンファレンスで力説なさったのはそういうわけなのですね。

あくまでも人間は経済のなかだけで生きているのではない、ということです。

常に問われているのは、あなた自身がどういう人であるか、というのことなのです。

現代では「消費者」や「ユーザー」という言葉が多く使われていますが、未来には20世紀的流行語として死滅することになるでしょう。

消費者も、ユーザーも、人間全体の中のほんの小さな経済的な側面を切り取っただけので、それらの言葉では世界や人間存在のほんの一部の表層しか表現することはできません。

人類は、だんだんとその違和感を肌で感じるようになってきている。だから、このカンファレンスに平日の日中にも関わらず、100人もの人が集まってきたのではないでしょうか。

──この「貨幣の束縛」のカンファレンス以前と以後とを比較して、なにか三石さんの心境や考えなどに変化はあったでしょうか?

今日一日を通じて感じたことは、私たちは貨幣、つまりは経済交換というような価値交換に縛られ続けているのではないだろうかということでした。

「貨幣の束縛」のカンファレンスで論じ合ったことは、経済的な価値交換の束縛、によって生じた歪みへの疑問だったと思います。

逆に私たちが豊かな未来を創造していくことを考えたとき、絶対に「貨幣の束縛」の向こう側へと行かなくてはなりません。
従来の数量的交換とそれに付随する一面的価値の外へ、たとえば価値贈与などの新しい認識へとどんどんと認識を拡張していくことで、私たちの未来は大きく豊かに広がっていくだろうと、確信しています。

執筆者:THINK ABOUT 編集部
THINK ABOUTを運営するネットプロテクションズの社員によって構成される編集部です。
この執筆者の記事をもっと見る