ローカルコミュニティの活性化が日本の未来に活力を与える【vol.1】

ローカルコミュニティの活性化が日本の未来に活力を与える【vol.1】

「グローバルな視点でローカルを捉える」という共通項をもつ、ファッションデザイナーの井上聡とソーシャルアントレプレナーの本村拓人。“地域”特有の社会課題をデザインの力で解決すべく、いかなる価値観を下敷きに活動しているのだろうか?

Words Tomonari Cotani Photos Tohru Yuasa

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かたやアンデス山脈で暮らす人々の生活を改善すべく、高品質なアルパカのニットウェアをその品質に見合った高価格で販売しているファッションデザイナー。かたや「クリエイティブ・ワン・ブロック(創造区画)」という概念をもち込み、独自のアプローチから日本の地域創生に挑むソーシャルアントレプレナー。彼らを突き動かすお互いの“行動規範”を知る対談が始まる。

ローカル×ソーシャルデザインへの目覚め

井上 本村さんは、これまでどういうご活動をされてきたんですか?

本村 僕は、18歳のときに名古屋で人材派遣の会社を起業しました。ただ、しばらくしてビジネスの知識が全然足りないことを痛感し、経営の勉強をするためにニューヨークへ留学したんです。その留学中に、いろいろ世界を旅しました。なかでも、インドやバングラデシュを旅した経験が大きかった。それがきっかけとなり、“貧困解決”が僕のライフワークになったんです。

本村拓人。1984年生まれ。株式会社Granma代表/創造区画家。高校卒業後、2003年愛知県名古屋市にて人材派遣会社の立ち上げに参画。1年間の起業を経験したのち、ニューヨーク州立大学モリスビル校へ進学。留学中、アジア、アフリカを放浪。BOP(ボトム・オブ・ピラミッド=経済ピラミッドの最下層)の生活向上や地域再生を目的とした事業を展開する一方で、独自のアプローチから日本の地域創生に挑んでいる。

ただ、経済的に困窮した地域でも、創造力だけでのし上がっているイノベーターや活動家がいっぱいいることには驚きました。そこで、“創造的な人材や地域をつくるにはどうしたらいいか”を考え、手助けするべく、24歳のときにGranma(グランマ)という会社を立ち上げたんです。

途上国で暮らす人々の創造力を枯渇させないためには、まずインフラの整備が必要だと考え、井戸を掘ったり無電化地域にソーラーパネルを提供するといった、かなりシンプルなプロジェクトを40ほど行いました。

2011年、富士通デザインとインド北部UP州(農村地域)にて遠隔医療、女性への初潮教育、貧困層への教育を目的とした各種ツールの開発プロジェクトを展開(左から2番目が本村)。写真は、国際NGOの協力のもと、現地の医療機関やそこで働く医療従事者へインタビューを行っている様子。

2014年からは、日系企業とともにデング熱やマラリアなど、蚊を媒介とする感染病(症)を予防するプロジェクトをパキスタンやフィリピンなどで実施した。

そうした活動を四苦八苦しながら8年ほど続けて気づいたのは、結局のところ、地域全体から考え直していかなければ根本的な解決にはつながらない、ということでした。だったら地域づくりをイチから学び直そうということで3年ほど腕を磨き、いまは主に秋田県南部で発酵都市として地域を再生するプロジェクトのお手伝いをしています。

個人的に秋田や東北には縁もゆかりもなかったのですが、偶然出会った醸造家が、たまたま秋田で地域再生を志している創造力豊かな方だったので、お力添えができればと思ったのがきっかけでした。

こうやって話しても、(井上)聡さんと違って何をやっているのかわからないと思いますが、とにかく、広く地域再生にどっぷり浸かっている人間だと思っていただければと(笑)。

井上 いえいえ、とても共感しました。The Inoue Brothers...(ザ イノウエブラザーズ)の活動の原点も、ローカルコミュニティに対していかに貢献しながらデザインするか、でしたから。

井上聡。1978年デンマーク・コペンハーゲン生まれ。The Inoue Brothers...共同主宰。2004年のブランド設立以来、生産の過程で地球環境に大きな負荷をかけない、生産者に不当な労働を強いない“エシカル(倫理的な)ファッション”を信条とし、南米アンデス地方の貧しい先住民たちと一緒につくったニットウェアを中心に展開。さまざまなプロジェクトを通して、世の中に責任ある生産方法に対する関心を生み出すことを目標にしている。聡はコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、弟の清史はロンドンでヘアデザイナーとしても活動。

僕が20歳のころ、デンマークでソーシャルデザインのムーブメントが起こったんです。当時、僕はデンマークではメジャーなグラフィックデザイン会社を3人のパートナーと共同で主宰していました。そのうちロイヤルコペンハーゲンとかバング&オルフセンといった、国内でもとりわけ大きなクライアントの仕事をするようになると、デザインの話より政治の話が多くなっていくんです。要は、新しいキャンペーンを始めるにあたって誰がリスクを取るのか、という話です。

デザインをする立場からすると、リスクをはらんだ表現のほうが当然クリエイティブだし、結果としてクライアントのためにもなる。でもクライアントは、失敗したらすべての責任が僕たちにくるような契約条件にしようとする。デザインが大好きで始めた仕事なのに、どんどん会議の時間ばかりが長くなって、悩んでいたんです。そんなとき、SUPERFLEX(スーパーフレックス)という有名なデザインチームが、ビジュアルアートを使って社会を変えていくプロジェクトを始めました。

彼らが行ったソーシャルデザインのなかでもとりわけ影響を受けたのが、政治にまつわるプロジェクトです。デンマークの政治は日本と同じでアメリカ追従型なのですが、当時アメリカはジョージ・W・ブッシュが大統領の時代で、それに歩調を合わせるかのようにどんどん右傾化していったんです。高福祉社会として有名なのに、病院や学校をどんどん民営化し始め、国民は疑問に思い始めていました。

そんなときSUPERFLEXは、野党やお金がないNGOを自腹でサポートして、状況を覆したんです。それを見て僕はすぐにデザイン会社を解散し、The Inoue Brothers...を立ち上げました。ソーシャルデザインで社会に尽くそうと決意したからです。

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