社会の変化を牽引するリ・ジェネラティブな都市の在り方【最終回】―地球の生態系との共生的な未来を人類は歩んでいけるのか?―

人と地球の生態系が共生していくための都市の在り方

【vol.1】や【vol.2】でも、都市を複雑なネットワーク(系)として捉えたアムステルダムやバルセロナの事例で、都市づくりにおける多様性とつながり方の視点を紹介したが、もうひとつ大切なのが、ネットワークのなかを構成要素がどれだけ流通・移動しているかという循環の視点だ。

系には、そのなかで物質の移動が閉じている「閉鎖系」と、外界とつながり、要素のやり取りが行われる「開放系」があるが、これまでの都市づくりは、基本的には人の世界に閉じた系としてデザインされてきた。これは都市に限らず、社会や経済においても同様だ。

例えば、サーキュラーエコノミーでは「クローズドループ(閉ループ)」と呼び、マテリアルレベルでデザイン・トラッキングし、資源を使い捨てることなく循環させていくことが基本作法となっている。これは環境負荷の軽減という観点で重要であると同時に、今のところ多くの活動は人間の経済のなかでの循環に主眼が置かれている。

だが、当然ながら人間の暮らしや生産活動は、食糧や資源の供給や生息環境の提供などさまざまな自然環境の恵み(生態系サービスと呼ばれる)を享受し、多分に依存している。これまでの都市における循環や流通というのは、人の世界に閉じており、地球環境に対しては一方通行(搾取的)だった。言い換えると、自然環境から資源を享受し、取り込むことはあっても、自然環境とともに繁栄し、生命多様性を高めていくような視点やメカニズムを上手く組み込めてこなかったのだ。地球の生命生態系の一部として人が生き、僕らの根源的な営みが自然環境とつながっているにもかかわらずだ。この本質的な限界と矛盾こそ、現代の都市が向き合っていかねばならない根本的な課題なのではないだろうか。

ここに切り込むフロンティアのひとつが、前出のソニーCSLの船橋氏が取り組んでいる「協生農法」だ。協生農法についての詳細は、以前Ecological Memesで書いたレポートをご参照いただくとして、協生農法は、雑草や自然に生えてくる木、昆虫や動物も含めた多様な生命や自然環境を多面的・総合的に巻き込んで、生態系そのものがもつ生命力を引き出し、生態系そのものを回復・構築していく農法技術だ。

学術的には「拡張生態系(Augmented Ecosystem)」と呼ばれる考え方が基盤となっているそうで、人が介入することで、自然環境の再生産が成されていく。六本木ヒルズの屋上庭園などでも協生農法に取り組まれているが、こうした文明装置を都市に組み込んでいくことは、まさに人と地球環境との関係性をリ・ジェネラティブ(再生的)なものへと転換していく試みといえるだろう。

現在、すでに起こり始めているサーキュラー型の経済モデルなど、環境負荷を下げていくサステイナビリティの活動は、とても大切な第一段階だ。その先にあるのは、人が介在することで、自然やほかの生き物など地球の生態系とともに繁栄していくリ・ジェネラティブ(再生的)なシステムの在り方である(図はDesigning Regenerative Cultures, 2016をもとに筆者作成)。

人と地球環境が共生するエコロジカルな視点への転換

都市に限らず、さまざまな領域でこうしたパラダイムの転換(エコロジカル的転換と僕は読んでいる)が求められているのだと思う。それは環境負荷の軽減という枠を超えた、人間と地球環境がともに繁栄し合えるような関係性への転換だ。

経済活動における環境負荷を緩和しようとする試みは、ロスタイムを延長することにはなるかもしれないが(それはそれで大切だが)根本的な解決にはならない。そして重要なことは、こうしたエコロジカルな転換は、本連載で見てきたような人のウェルネスを支える都市づくりと相反するどころか、むしろ近づいていくのではないかということだ。

なぜなら、人として豊かに暮らせるかどうかは、ほかの生き物や自然環境とのつながりに大きく依存しているからだ。それは食料や資源の享受だけに留まらない。人間が本来的にもつ自然や生命への愛情やつながりは「バイオフェリア(Biophilia)」と呼ばれ、日本の森林浴の効用などの科学的研究も進んでいるし、イギリスのシェトランド諸島では、医師が“自然に触れること”を患者に処方することが正式に認められ話題になった。現代がかつてないほどのストレス社会となり、グローバル規模の課題となっているなかで、自然が人にもたらす精神的な効用に改めて注目が集まっている。

また、ニュージランドでは、川を崇拝して生きるマオリ族と、川を経済資源とみる行政や企業との長年の裁判の末、川に法人格が与えられるという出来事があった。自然とともに生きる、自然とのつながりが人を豊かにするという伝統的な文化が、現代社会と融合したかたちだ。

海洋生物学者レイチェル・L・カーソンが名著『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)に残した「地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう」という言葉を、今を生きる僕ら一人ひとりがそろそろちゃんと噛みしめても良いころなのかもしれない。

不本意な現実を乗り越え、共生的な未来を歩んでいけるか?

こうした流れのなかで、今回の新型コロナウイルスは、人類が見て見ぬふりをしてきた不本意な現実に直面する覚悟、地球環境や他の生き物とともによりよく生きていくための社会変革や進化へのきっかけを与えてくれているような気がしてならない。

長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、2011年の著書『感染症と文明―共生への道』(岩波書店)で、「感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない」と語っている。

今回の現象についても、地球環境への過度な侵食や搾取が巡り巡って人間社会にリスクとして降りかかってくるという悪循環を乗り越えていくためには、ウイルスを撲滅し、打ち勝つということではなく、人の世界に閉じない生態学的なパラダイムで世界と向き合い、共生的な道を探していかなければならないタイミングなのではないか。それはきっと、虚構のなかを無理して走り続けることを止めて、自分たち自身を大切にしてあげることでもあるはずだ。

【vol.3】でも書いたように都市は精神性のインフラとしての側面をもつ。人類が集団として先延ばしにしてきた持続可能性や生物多様性という深刻な状況を前に、これまでと同じ行動パターンを繰り返すのではない、社会システムや個人のトランジッションのインフラとしての役割がこれからの都市には問われていくのではないだろうか。

なお、最後に余談になるが、人間のDNAのなかには、今回のコロナウイルスのようなレトロウイルス(RNAウイルス)の塩基配列がたくさん確認されていて、人間の進化にもRNAウイルスが貢献しているのではないかという議論もあるという(胎児を母体で育てるという哺乳類の生存戦略にはレトロウイルスの存在が不可欠だったそう)。また、HIV治療は、ウイルスの増殖を抑えることでAIDSの発症を防ぎ、ウイルスにとっても宿主がAIDSになり死なないことで生存するという点で、ウイルスとの「共生」を目指すものだと捉えることもできる。

ウイルスは人類が誕生するよりもはるか昔、何十億年も前から地球の生態系や生命多様性を支えてきた生命圏の大先輩でもある。それに、僕らの身体には、腸内にも皮膚にもすでにたくさんのウイルスや細菌が共生していて、それらなしでは生きてはいけない。地球の長い生命生態系の歴史のなかで、ヒトも(他の生命も)ウイルスとの共生によって、さまざまな環境に適応できるように進化してきたということなのかもしれない。

今回の現象がそうした大きな流れのなかで立ち現れているとするならば、これまでの不本意な現実に再び揺り戻されていくのではなく、社会全体で新たな選択をとれる自分たちでありたい。

 

小林泰紘

株式会社BIOTOPE Creative Catalyst / Intrapreneurship Enabler

世界26カ国を旅した後、「IMPACT HUB Tokyo」で社会的事業を仕掛ける起業家支援に従事。その後、人間中心デザイン・ユーザ中心デザインを専門に、金融、人材、製造など幅広い業界での事業開発やデジタルマーケティング支援、顧客体験(UX)デザインを手掛ける。現在は共創型戦略デザインファーム「BIOTOPE」にて、企業のミッション・ビジョンづくりやその実装、創造型組織へ変革などを支援している。エコロジーを起点に新たな時代の人間観やビジネスの在り方を探る領域横断型プロジェクト「Ecological Memes」発起人。

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