”働く”について考える ~今の時代における労働の意義とは~

執筆者: 藤野荘子
vol32
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”働く”について考える ~今の時代における労働の意義とは~

執筆者: 藤野荘子

人は何のために働いているのでしょうか。お金のため?皆が働いているから?
では、もし明日から働かなくてもお金がもらえるようになった時、何をするでしょうか。

私は、大学時代に発展途上国でインターンをしていた経験から、人が幸せに働くには何が必要かを考えていました。この記事を皮切りに、様々な企業や研究者に取材をして、今の時代における労働の意義についてみなさんと一緒に考えたいとおもいます。

発展途上国の貧しい人を援助したいと思った。しかし、そもそも、「豊か」とは?

私は高校生の時に、発展途上国のような貧しい国で支援活動をしたいと思っていました。テレビなどを通して、世界には衣食住もままならなかったり、読み書き算盤レベルの教育も行き届いていない国や地域があるということを知り、「自分はとっても恵まれている環境にいるから、貧しい人たちを助けるような仕事をしたい!」と思ったのがきっかけです。

そこで、大学在学中に、バングラデシュにあるグラミン銀行グループでインターンをしました。

滞在していた時期はバングラデシュの歴史の中でも激動の1年だったように思います。外資系企業の参入などにより、年7%の経済発展のお陰で、生活は便利になっていきました。しかし、バングラデシュに進出した外資系アパレル企業のビルが管理不足で崩壊し、何千人もの命が奪われるような事故もあり、経済発展と引き換えに国の中が良くない方向に向かっているような気がしてなりませんでした。

帰国した直後は、「日本はバングラデシュの何倍も豊かで水道からお湯は出るし、停電も起こらないし、なんて生活のしやすい国なんだろう」と感じていました。そんな中、街中を歩いていると、道の端の方で倒れている人がいました。びっくりして声をかけようか迷っていると、通りすがりの人が「酔っ払ってるんじゃない?スーツ汚れちゃってかわいそう」と言って通り過ぎてしまったのです。なんだか寂しいような、虚しいような…日本は経済的には発展しているけれど、必ずしも心は豊かではないのかもしれない。

幸せに生きたいし、働きたい。でもどうやったら幸せに働けるのだろうか

バングラデシュの生活を思い出したり、この日本での出来事を考えていると、「精神的に豊かであること・満たされていること」=「幸せ」だとしたときに、どうしたら「幸せ」になれるのだろうかという思いを抱きました。

「幸せ」とはお金をたくさん持っていること?家族や大切な人と時間を過ごせること?美味しいご飯が食べれること?それとも誰かに認められることなのでしょうか?

そんなことを考えているうちに私も例によって就活の時期が訪れました。人生の多くの時間を「働くこと」に割いているのだから、幸せになる働き方をしたいと考えていましたが、経済や様々な面で右肩下がりと言われ、労働問題がメディアで毎日のように取り上げられている中で、そもそも精神的に豊かに、幸せに働くことは果たして可能なのか…、そんな不安を抱いていました。

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途上国の幸せに働く人々。「労働」のあるべき姿を考えさせられた

就活をしていく中で、そういえば、バングラデシュのスタッフ同僚たちはいきいきと働いたことを思い出しました。私がインターンシップをしていた所は、日系企業でありながらお給料は他に比べてそこまで高くはありませんでしたが、会社のスタッフたちは自分の仕事に誇りを持ち、幸せに働いているように映りました。それは駐在している日本人の上司が、スタッフたちを信頼していたからだと思います。バングラデシュは裕福な人が貧しい人に対して、暴言をはいたり、差別なども多い国なのですが、駐在員してる日本人の上司はそのようなことを一切せず、スタッフたちに出来るだけ仕事を任せていました。このことを思い出し、職場・職業を選ぶ上で、大切なことはお給料だけでなく、他の要素も大いにあると感じました。

また「幸せ」は持っているお金の量等、一元的に測れるものではないとも感じました。経済学者でありながら社会学者でもあるカール・マルクスは「労働」を創造的な人間力の外化行為であり、自己認識の手段であると言っています。人は、自分の頭で考えたことを自分で実行し、その成果物を見てみたい。そして、その成果物をみて、自分の存在価値を認識するのだと彼は唱えました。この考えを知った時、まさにバングラデシュの同僚たちは上記の要素を感じていたのではないかと思います。

また、例えば、私は小さいことから絵を描くことや図画工作が好きだったのですが、その絵を両親に見せることも好きでした。今思えば、自分の中でイメージしたものを色んな色を使いながら、自分の内面にあるものを表現して、それに対し、両親から「きれいだね」や、「すごいね」と評価をされることで自分は愛されていて、ここにいても良いという実感を子供ながらに得ていたのかも知れません。

利益の追求と人間らしい労働を両立させることは可能なのだろうか?

しかし、日本の現在の資本主義社会で、上記のような「労働」を実現することは可能なのでしょうか。

企業はまず、利益を出さなければ存続することが出来ず、従業員に給与を払うことが出来ません。従業員は会社の利益を出すために働いています。その前提がある中で、人間らしい「労働」はそもそも可能であり、また、必要なのでしょうか。

資本主義社会が進んでいくと「効率性・制御・予想可能性・計算可能性が高まる」とアメリカの社会学者であるジョージ・リッツァは言いました。その現象はマクドナルディゼーションと呼ばれ、効率性を重視し、余計なものは削ぎ落とし、規制をかける。何が起こるのかの予想やどのくらいのコストが掛かり、パフォーマンスが出るかが分かるものが中心に実行されるという意味です。

これでは意識的で自由な労働ではなくなっていくし、クリエイティブさもなくなります。マニュアルに書いてあることが自分の「労働」となってしまえば、人間力の外化行為でもないし、「自分が自分である」という自己認識も出来ないでしょう。このように考えてみると、資本主義社会の中で、自分らしいクリエイティブさを出して、他者にその成果を認められるような「労働」は可能なのだろうかと疑問に思ってしまいます。

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資本主義社会の幸せな働き方について考えたい

ここで、私の同世代の知人を思い浮かべてみると、起業をしたり、企業の中でも、ベンチャー企業で働いたりという話をよく聞きます。日本では、もはや衣食住に困らなくなり、経済的な豊かさをより求めるより、今の生活の充実感を大切にする価値観が生まれ、「働く」ことに関しても「意義」や「理由」をより求めるようになってきたとも言われています。

このような現状に目を向けるともしかしたら現代の日本社会の中でも私の求める「労働」が可能かもしれない、そんな風に思えてきます。今後、ThinkAboutではそのような可能性を探るべく具体的な例として企業の取材を行ったり、様々な方との対話で皆さんと一緒にに考えていきたいです。

執筆者:藤野荘子
2016年にネットプロテクションズに入社。
発展途上国の開発について勉強するために立命館アジア太平洋大学に入学。
在学中に1年間バングラデシュのグラミン銀行グループでインターンシップを経験。
現地で「労働のあり方」に疑問を持ち、帰国後、労働社会学を中心に研究。
現在はビジネスとして利益を得ながら幸せに働くためにはどうすればいいか
自分の人生を通して実験中。
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