パンデミックの歴史が見せる未来の姿【vol.1】

パンデミックの歴史が見せる未来の姿【vol.1】

米ジョンズ・ホプキンズ大学のまとめによると、世界全体の新型コロナウイルスの感染者数は日本時間5月3日午前3時の時点で339万2,771人、死亡者数は24万1,193人となった。だが、人類と感染症の闘いは今に始まったことではない。歴史学者の三石晃生氏が2回にわたり、これまでの史実からウィズ・コロナ、アフター・コロナの時代を読み解く。

Words Kosei Mitsuishi Photo: Fototeca Gilardi/Getty Images

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2020年、突如として世界をパンデミックの渦に巻き込んだ新型コロナウイルスCOVID-19。このウイルスの感染拡大によって現在も世界的な混乱が続いている。新型コロナウイルス以前、世界は「協調と発展と多様性」へと動き出しているかのように思われた。ことの是非はさておいて、そうした協調と多様の文脈のなかで東京オリンピックも開催予定であった。しかし、オリンピックが開催されていたであろうこのときに、世界は分断され、出口の見えない各々の混乱の収束への模索に追われている。この事態を誰が予測できたであろうか。

ナポレオンの独裁、そしてナポレオンの失脚からルイ18世の帰還による王政復古の大規模弾圧など、混迷を極めた19世紀のフランスに生きたオーギュスト・コントは「予見せんがために観察する。予知せんがために予見する(Voir pour prévoir, prévoir pour prévenir.)」ために社会学をつくり出した。先の見えない現在だからこそ、我々は感染症と人類との歴史を知る必要があるように思われる。

スペイン風邪という「人災」

新型コロナウイルスはスペイン風邪以来のパンデミックであるといわれているが、そのスペイン風邪とはどのようなものだったのだろうか。

1918年に世界で猛威を振るったスペイン風邪というインフルエンザは、最低で見積もっても5,000万人、最大推定では1億人もの人々の命を奪った。世界人口が約18億人という時代である。ちなみに第二次世界大戦で亡くなった兵士死亡者数の総計が5,000万人であった。

スペイン風邪という名が付いてはいるが、スペインが発信源ではない。米カンザス州の米軍基地で料理番を務めていた兵士、アルバート・ギッチェルが患者第一号というのが通説である(ほかにも1917年にフランス北部に駐留していたイギリス兵のキャンプ発祥とする説や、DNA解析で中国発祥であることが判明したという意見もある)。1918年3月11日、ギッチェルが風邪のような症状を訴えると、数時間のうちに軍の診療所は同様の症状を訴える兵士で溢れ返った。

運が悪いことに、当時は第一次世界大戦の最中であった。このカンザスの米軍基地からも逐次ヨーロッパに兵が送られ、ヨーロッパ戦線に駐屯する軍隊のなかで次々と感染が拡大していく。しかもこのインフルエンザは、ごくありきたりのインフルエンザではなかった。自己免疫の暴走を引き起こす「サイトカインストーム」によって致死率が極めて高くなった凶悪なインフルエンザである。しかし、この殺人インフルエンザの存在を、世界の人々は自分たちとは関係のない対岸の火事と見ていた。なぜならば、各国が故意にこの事実を隠蔽していたのだ。

不都合にして、不利益な事実

1917年、アメリカが第一次世界大戦に参加すると「モラール法」が可決された。これは「アメリカにとって不利益な事実」を報道した場合、20年の服役が余儀なくされるというものである。当時、「ステレオタイプ」「冷戦」などを後に造語したジャーナリストで政治評論家のウォルター・リップマンという人物が、ウッドロウ・ウィルソン大統領のアドバイザーとして政策に参与していた。リップマンはアメリカ国民に都合のいい情報だけを流す広報局をつくるよう進言し、大統領はこれに積極的に従った。そのため、アメリカ国内ではこの殺人インフルエンザの真実は知らされないどころか、前線の兵士たちに「病気が流行っているなど嘘だから心配するな」と家族に向けて手紙を書かせるなど、これを積極的に揉み消していた。

またイギリスも事情は同じで、国土防衛法を成立させていた。この法律下においてはアメリカのモラール法より厳しく、「不満や恐怖を引き起こす可能性のある風聞」を広めた場合には、死刑が適用される可能性もあった。現にイギリス国内では、ロンドンでも死者を出したこの殺人インフルエンザを一貫して「戦争による神経の衰弱」だと報道し続けたのである。

かたや第一次世界大戦中、中立国であったスペインは隠匿や揉み消しなどをすることなく、ありのままを報道する。そのため「スペインで広がったインフルエンザ」と思われ、「スペイン風邪」という名が付けられて今に至っているのだ。

不安を助長してはならないという「忖度」

例え、殺人ウイルスを見て見ぬフリをしようと目を背けても、凶悪インフルエンザは凄まじい速度で拡大し続けていた。

アメリカのフィラデルフィアの海軍兵士が「スペイン風邪」に集団感染し、その兵士を軍施設だけでは収容しきれずに市民病院に移してしまう。その結果、市民病院からクラスターが発生する。

しかし、フィラデルフィア当局はロックダウンを行わなかった。それどころか軍事費を集める国債発行のためのデモンストレーションである「リバティー・ローン・パレード」という大パレードを大々的に催行し、これが決定打となって1日に数百人も亡くなる最悪のパンデミックを一般市民の間でも引き起こしてしまったのだ。

この期に及んでもメディアは政府の意向通りの、恐怖心や不安を削ぐような報道を続ける。このとき、せめて市民が正しく恐れるだけでも違った結果になっていたであろう。

政府も報道も不安にさせないように終始するだけで、対策らしい対策といえば公務員とインフルエンザ患者に意味のないマスクの着用を義務付ける程度であった。

1918年、サンフランシスコではマスク着用条例が制定された。対象となるのは全市民で、食事のとき以外は顔と鼻を覆うように全市民に義務付けられた。市は当時の新聞に「ガーゼマスクは予防に99%有効です」と一面広告を打ったが、現在WHOはマスクによる予防効果は「証拠がない」としている。Photo by Apic/Getty Images

そして、誰もいなくなった

1918年3月のスペイン風邪の流行当初、感染率は高いものの死亡率の低く、過去によくあるインフルエンザと変わらないように思われた。しかし同じ年の秋ごろになると様相は一変する。第二波の到来である。

罹患者は数億にも上り、数百万人が命を落とす。年末にかけて一度は下火になり収束するかのように思われたが、年明けに再燃。1919年春になっても収束の目処がたたなかった。しかしピークはすでに過ぎており、このころになってようやく人々は、スペイン風邪についての正しい情報を報じ、正しい注意喚起をするようになった。しかし、世界は約5,000万から1億人の人々を喪ったあとのことであった。

確かに、罹患者に高齢者は多かったが、その多くは生き残ることができた。2014年にアリゾナ大学の生物学者マイケル・ウォロベイ(Michael Worobey)博士らが、1889年以前に起こったインフルエンザはスペイン風邪に似た型をしており、1889年以前の生まれの人はある程度の免疫があったために助かった可能性を示唆している。ウォロベイ博士の言う通り、スペイン風邪は20代から40代が死者の約半数を占めている。高齢者が多く罹患したことから、若者には関係がない、若者は丈夫だ、といった侮りがここまでの感染拡大を招いた一因のひとつのように思われる。
それでも、もし国家が自分たちの都合を優先させず、早期に国民に正しい危機意識を喚起し、正しい情報を拡散するだけでも、まったく違った結果になったであろう。そういった意味で、世界人口を大量に喪ったスペイン風邪は、半ば人災といってもいいのかもしれない。

 

→【vol.2】に続く。

 

三石晃生
歴史“論”者/株式会社goscobe 代表

1980年、英領香港生まれ。2017年に実証史学の分析手法を用いたアジア初の歴史コンサルタントファーム「株式会社goscobe(グスコーブ)」を日本に設立。佐宗邦威氏が率いる株式会社BIOTOPE・外部パートナー、金沢の老舗酒造・福光屋顧問などを務める傍ら、大型国家プロジェクトやハリウッドアニメーションに歴史アドバイザーとして参画。

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