小川 尚大(おがわ なおひろ) 取締役/2011年入社
「九州に雇用をつくる」という目標を掲げ、2011年、社員50名未満のベンチャーだったネットプロテクションズに入社。CS部門で「NP後払い」の業務改善に携わった後、会員制決済サービス(後のatone)の立ち上げを担当。以降、マーケティング、事業の立て直し、デザイン・総合企画グループの設立、コーポレートブランディングなど、事業と組織の両面を幅広く牽引。2024年に取締役に就任
「私は、一を聞いて十を知るタイプではありません。十を知るには、十をやらなければいけない人間です」
ネットプロテクションズ取締役の小川尚大は、自身をこう語ります。カスタマーサービス(CS)部門からキャリアを始め、入社3年目に会員制決済サービスの立ち上げを任されました。一度は事業停止を経験しながらも、2017年に「atone」として世に送り出すまでを牽引。その後もマーケティング、事業の立て直し、総合企画グループの設立、コーポレートブランディングと、役割を広げ続けてきました。人より多くの経験を積むことを武器にし、「全部やる」と決めて歩んできた15年。その道のりを聞きました。
「今の自分より遠くへ」。楽しそうに働く大人を見て決めた道
学生時代は、どんな将来を描いていたのですか?
大学では数学を専攻し、高校の数学教師になるつもりでした。地方で育った私には、それ以外の選択肢があまり見えていなかったんです。
転機は、サークルの先輩たちがMBAに進んだり、スタートアップを経て起業したりする姿を間近で見たことです。話を聞くほど視野が広がり、生徒に伝えたいのは数学そのものより、生きるための考え方や姿勢なのではないかと思うようになりました。就職活動では、ベンチャー経営者が学生に語る少人数の会に何度も足を運びました。こんなに楽しそうに働く大人を見たのは初めてで、「自分も事業をつくり、挑戦し続ける人になりたい」と思いが固まっていきました。
NPへの入社を決めた理由を教えてください。
NPが提供する「後払い決済」は、当時の私にとって馴染みのないものでしたが、成長しているEコマースという産業の中で新しいお金の仕組みを作っていることはすぐに理解できました。また、後払い決済で蓄積した独自のデータと顧客ネットワークの上に新しい事業をのせていくという構想も明快でした。社員は50名に満たない規模で会社経営を間近で体感できるとも感じました。
そして何より惹かれたのが、代表の「成長の限界を決めるのは自分」という言葉です。当時の私は、地方ならではの情報格差やビジネスの基礎体力の足りなさに直面していました。何ができるようになるかは分からない、それでも、とにかく今の自分より遠いところまで行きたい。そう強く思っていたから、この言葉が深く刺さったのだと思います。
才能がないなら修行する。「ようやく出番が来た」ゼロからの事業づくり
入社から現在にいたるまでの小川のキャリア
入社後は、どんな仕事からスタートしたのでしょうか?
CS部門に配属になり、NPの代表サービスである「NP後払い」の注文内容を確認する与信審査、請求・入金管理、加盟店審査のオペレーション遂行とマネジメントに携わりました。生産性向上のための業務ルールの見直しからシステムに踏み込む改善まで、あらゆる企画を上長と壁打ちし遂行する。そんな毎日を送っていました。
ある日、代表から「会員制決済サービスの立ち上げを担当してみないか」と声をかけてもらいました。
最初に浮かんだのは、「ようやく出番が来た」という気持ちです。
新規事業をつくるのは特別に優秀な人で、自分にはその才能がないと思っていました。だからこそ入社してからの数年間は、事業をつくれる人間になるための修行期間と決めて、がむしゃらに取り組んでいました。その積み重ねが実を結んだようで本当に嬉しかったです。
事業づくりは、どのように進めていったのですか?
CS部門の同僚と2人で取り組みました。最初の半年は夕方までCSの業務をこなし、そこから新規事業に向き合う生活でした。一緒に取り組んだもう1名も20代の若手社員で、2人とも事業立ち上げの経験はなく最初は手探りの連続でした。
事業コンセプトを考えるために、そもそも、お金はなぜ存在するのか・現金がデジタルになって何が変わったのか、といった問いから議論を始め、決済の理想形を描いていきました。代表とも何度も事業構想について協議しました。事業の骨格が固まった後は、サービスプロセス設計・UXデザインやマーケティングなど、お客様の目に触れる部分の設計を統括しました。どの領域も豊富な経験はなく、社内の経験者や外部のパートナー企業にも協力をお願いし、専門家の力を借りてつくり上げました。
この頃には「自分の職種」という感覚はなくなっていました。事業に必要な役割は全て視野に入れボールを拾う。自然とそういう考え方になっていたと思います。
事業が止まった日から始まった、武器を磨く日々
リリースを目前に事業が止まったと聞きました。
会社としてリソースの選択と集中が求められる中、経営判断により、この事業はいったん止めることになりました。
ご協力いただいていた企業の皆さまへ、一社ずつお詫びに回りました。
それを終えたとき、「自分は何も世に出せなかった」と強く感じました。コンセプトもスキームも必死に考え抜き、初期顧客の獲得も進めている最中です。それでも、事業をお客様に届けるところまではたどり着けなかった。そう痛感し、当時マーケティング部門を率いていた先輩に相談して、異動を決めました。
その事業は、その後どうなったのですか?
株主構成の変化などを経て、事業は再び動き出しました。そして2017年、「atone」として世の中に公開されることになります。私はそのリリースまでのプロセスを牽引しました。一度は世に出せなかったサービスを、今度はお客様に届けることができた。お詫びに回った日のことを思い出し、胸が熱くなったのを覚えています。
マーケティング部門では、どんな経験を積んだのですか?
デジタルマーケティングを中心に、幅広い業務を経験しました。最初の数年は、とにかく基礎体力をつけることに没頭しました。たくさんの本を読んで「マーケティング責任者に必要なスキル」を一覧にしたマップを作り、その項目を一つずつ実際に経験していく。武器を一つ手に入れるたびに、自分の「武器庫」が充実していくような感覚でした。担当範囲が広がるにつれ、サービス全体の施策設計や、どこにどれだけ予算を投じるかの配分にも挑戦するようになりました。やがて、複数の事業にまたがる戦略づくりで、議論を取りまとめる役割も任されるようになりました。この経験を通じて、全社の視点で物事を捉えて推進する力や、多くの関係者を巻き込む力が磨かれたと感じています。
身につけた武器が活きたのは、どんな場面でしたか?
最も活きたのは「NP後払いair」チームに加わったときです。最初はマーケティングを強化するために担当として関わり始めました。ところが中に入ってみると、マーケティングだけではどうにもならないことが分かりました。事業・組織全体として向き合うべき課題が複数あったんです。そこで自分から申し出て事業そのものの推進に踏み込んでいきました。
チームで事業を前に進め、お客様との契約が一つずつ決まっていく。その過程で、磨いてきたマーケティング論や戦略論のフレームを実践で使い、その度に血肉になっていく感覚がありました。自分の仕事が確かに会社や社会の役に立っていると実感できた時期でもあります。事業づくりはやっぱり面白い、改めてそう思わせてくれた経験でした。
その後も、伸び悩んでいる事業の立て直しに飛び込んだり、組織のコンディションに課題を抱える部署に入り込んで環境を整えたりしてきました。気づけば組織を縦横無尽に動き回る「特命係」のような役回りが増えていました。
代表一人の役割を、みんなで担う組織へ。総合企画グループとコーポレートブランディング
その後、新しい部署である「総合企画グループ」を立ち上げられたんですね。
NPは2021年12月に東証一部(現・プライム市場)へ上場しました。会社は多様なステークホルダーと共に経営を行うステージに移り、長期的な企業価値の向上や、非連続な成長への取り組みが、これまで以上に求められるようになりました。
そのタイミングで、それまで代表個人が担っていた役割を組織として実行・推進するため、「総合企画グループ」を代表と協議し立ち上げました。部署では事業横断プロジェクトの立ち上げや新規事業・M&Aといった非連続的な成長の種まきと実行支援を担っています。またFP&A部門と連携し経営戦略・中期経営計画の策定も行います。設立にあたっては「権限委譲と成果最大化の両立を目指す」ことを意識して体制を作りました。中央集権的にならないよう部署には原則として専任者を置いていません。各事業のリーダーや責任者が兼務し、プロジェクトごとに社内からメンバーを募って柔軟にチームを組成しています。
特に思い入れのある仕事を教えてください。
「コーポレートブランディングプロジェクト」です。上場後にメディア露出が増え事業の数も増えていく中で、企業ブランドのあり方を見直す必要が出てきました。そこで1年がかりでコーポレートアイデンティティを再定義しました。
こうした取り組みは、一部の有識者がトップダウンで進めるのが一般的だと思います。一方で当社は、一人ひとりが経営視点と当事者意識を持つことを大切にしています。そこで全社員が参加する合宿形式をとりました。一人ひとりの思いを集約してたたき台をつくり、ワークショップを重ねて言葉を磨いていく。膨大な時間と、社員全員と真摯に向き合う胆力が必要なプロセスでした。
全員の声に耳を傾けながら、本質となる幹を見極め、言葉をシャープにしていく。マーケティングやブランディングで培ってきた知見と、対話を通じて腹落ちできる成果物をつくる力が、活きた仕事だったと思います。議論のすえ、ミッションである「つぎのアタリマエをつくる」を維持しながら、新たなビジョン「ひとの可能性をひらく」と、バリューズの「本質を探り、変化し続ける」を策定しました。
一人では勝てないと知ったから、周りの可能性をひらく側へ
冒頭で「十を知るには十をやる」と話されていました。なぜ「全部やる」と決めたのですか?
才能で勝負できる人間ではないと思っていたからです。だったら、人より多くの経験を積むこと自体を自分の差別化にしよう、と考えてきました。
「やったことがある」と言えることが増えるほど、選べる道が広がっていきます。そして、事業をつくる経営者や事業責任者は、結局すべてをやる必要があります。事業数字も、人と組織のことも、どれか一つでも避けてしまえば事業は前に進みません。だったら「全部やる」でいこう、と思ったんです。
「全部やる」となると、一人で抱え込むことにもなりそうです。
実は、それで一度痛い目を見ています。CSにいた頃、何でも自分の力で何とかしようとしていた時期がありました。
加盟店様との間で請求書の仕様がすり合わせきれておらず、大量の入金処理が混乱する事態が起きました。現場のスタッフ3人と一緒に、ひたすら手作業で対応を続けました。同じ作業による疲弊でチームが限界を迎えている、そう思った時、システム部門の方に助けてくださいと頭を下げました。人に心から助けを求めたのは、あれが初めてだったと思います。結果、システムを組んでもらい乗り越えることができました。
このとき、一人の力には限界があり、誰かを頼ることが大事なのだと身をもって知りました。「全部やる」は、すべてに責任を持つことであって、すべてを一人で手を動かすことではありません。事業に必要なことは、担当外と線を引かずに自分事として認識し、その上で周りの力を借りてでも成し遂げることです。
だから今、私が一番大切にしているのは、チームの力が最大になるよう支えることです。まず自分から相手に与えること。そして、自分の苦手なことは隠さずに伝え、メンバーが力を発揮できる余白をつくること。苦手から逃げないことと、苦手を一人で抱え込まないことは違います。私が前に出て成果を語るより、一人ひとりができることを増やしていきたい。周りの可能性をひらくことが、経営に一番近い仕事なのだと思います。
最後に、これから意思決定する学生にメッセージをお願いします。
私は特別な才能があったわけではありません。入社して最初の仕事は、CSで目の前の業務を一つずつ改善していくことでした。新規事業も、マーケティングも、組織づくりも、最初はどれも「やったことがない」ところから始まっています。
だから、今の時点で何ができるかは気にしなくていいと思っています。大切なのは、目の前の十を、十のままやり切れるかどうか。そして、一人で抱え込まずに周りを頼れるかどうかです。
NPには、手を挙げた人に十をやらせてくれる環境があります。今の自分より遠くへ行きたい方と、一緒に働けることを楽しみにしています。